中野悟史あるいはわしおの評価がここ数年で高まっている。最初はアクションアニメーターとしての仕事で人視されて、そして『ポケモンサン&ムーン』のキャラクターデザイナーとして有名になった。一部では賛否両論あるものの、中野氏の『ポケモン』シリーズへの貢献は大きく、同シリーズを作画大国に押し上げた。その後、湯浅政明監督の『犬王』で総作画監督(共同)を務めたことで、さらにその名を知られるようになった。

3月の新潟国際アニメーション映画祭で「大川・蕗谷賞」を受賞されたの続き、中野氏にこれまでの作品と現在の活動について話を聞く機会をいただいた。

英語版:https://fullfrontal.moe/nakano/ 

聞き手: ワツキ・マテオ、ジョワイェ・ルド

日本語版編者: ワツキ ・マテオ, 同志かりん

このインタビューは、全文を無料でご覧いただけます。なお、このような記事を今後も出版できるように、ご支援をお願い申し上げます。

総作監は60点とか50点ぐらいの絵を80点にしてくっていう仕事が多いと思ってたんです

Q:最初は、どうしてアニメーターになろうと思いましたか? 

実は大学生くらいまでそんなにアニメを見てなくて、ずっと漫画ばかり読んでました。漫画は自分で買っていたので好きだなって言うのがわかりやすくて、アニメはテレビで勝手に流れてくるものなので好きっていうのに結び付かなかった感じです。それを大学の時たまたま見た湯浅政明さんの『マインド・ゲーム』がきっかけでアニメが好きになったんです。映画化に合わせて再版された漫画の方を先に読んでたのですが、洗練された絵と色と音とセリフと動いている躍動感がうまく混在することで更に良くなるんだ!漫画を超えてきたーー!っていう衝撃を受けてアニメって面白いなって思いました。

ゲームも好きだったので最初はゲーム業界に行こうと就活していましたが全部落ちまして、、、でも好きなことしてお金稼ぎたかったし、見た時の衝撃を思い出して「マインドゲームみたいな作品に関わりたいな」と思って、アニメの専門学校に行くことにしました。 

Q:専門学校は役に立ちましたか? 

そうですね、もちろん技術的に役に立つものもいっぱいありますが、それよりそこで出会った人に結構恵まれたっていう気持ちの方が強いです。仲良かった友達は今でも交流ありますし、最初の会社に入社したのも、学校でコンテの授業をしてくれた飯島正勝さんが「『ポケモン』のOLMに入ってみない?」と声をかけてくれて、それがきっかけで行くことになったんです。よく一緒にお酒飲んでて仲良かったし気にしてくれたのかも。ありがたいですね!

Q:さっきゲーム業界の話をしましたね。『ポケモン』のゲームの方で働きたかったのですか。 

もちろん任天堂も受けたんですけど『ポケモン』はそんなにやったことなかったんです。OLMもポケモンで選んだわけじゃなかったですし。ゲームの会社は他にもセガやカプコンとかアトラスとか受けて、面接まで行ったのはプランナーでセガぐらいかな。大体ポートフォリオや筆記で落ちてました。まあ絵が下手だったのにデザイナー志望してたので当たり前ですね(笑)

Q: メガドライブ持ってましたか?

急ですね(笑)メガドライブは持ってなかったです。セガだとゲームセンターで『MJ』っていう麻雀ゲームはしていました。あとドリームキャストは持ってたのでソニックとか斑鳩とかクレイジータクシーとかはやってましたね。

Q:『サン&ムーン』の前にキャラクターデザインのデビューは劇場版の『ボルケニオン』。キャラクターデザイナーが多かった映画ですが、何のデザインを担当しましたか? 

メインのキャラクターは総作監の佐藤和巳さんがやられてたんで、一番偉い敵ボスの部下みたいなキャラを二体だけやらせてもらいました。自分は森本晃司さんの目つきがちょっと悪い感じのキャラクターとかも好きで落書きしてたので敵のデザインなら合うんじゃないかと、選んでもらったんだと思います。ただ「漫画チックにしてくれ」とか、「もっと世界観寄せて」とかは湯山監督から言われて何回も調節しました。アニポケっぽくはなかったんでしょうね(笑 )

Q:『サン&ムーン』は中野さんと安田周平さんがキャラクターデザインをしました。どのようにデザインを分担しましたか? 

まず監督の冨安さんからキャラデの話がきて、スタートはもちろんサトシ、そしてムサシ、コジロウをデザインしました。劇場ポケモンをやりながらだったのと、3年という長いシリーズで『サン&ムーン』の登場人物が結構人数が多かったのもあって、早めに安田さんにもメインとして入ってもらいました。安田さんは可愛い女の子が得意なので、自分はカキとかククイとか男性キャラクター中心で、安田さんはスイレン、リーリエと女性キャラ中心という形で分担したって感じですね。 

Q:でも安田さんが総作画監督にならなかったでしょ? 

作品の作画の最低ラインのボーダーは自分一人で引きたいなと思ってました。あと劇ポケの総作監を2年ほどやって、総作監は60点とか50点ぐらいの絵を80点にしてくっていう仕事が多いと思ってたんです。安田さんには作監としての自分の話数を「安田回」として良くしてほしいと思ったんですよね。安田さんも楽しいだろうし、こっちもあんまり手を入れないので楽できるし、しかも良いものができるので一番いいかなと。 

Q:『サン&ムーン』は中野さんのおかげで前の『ポケモン』の作品よりもアニメーターが自由に作画ができたそうですけど、そのことを説明してくださいませんか? 

前のシリーズはちょっとかっこいい、大人っぽいサトシ像っていうのが出来上がってました。そのせいか全体的に少し固い印象があったんです。サトシは10歳らしいのですが、自分がその年の時のことを考えるとちょっとらしくないかなって思っていました。監督の冨安さんも結構同じ考えで、もっと子供っぽくしたいね、っていう話になりました。表情も豊かに柔らかくしたいし、線も影もなるべく少なくシンプルにしたい。『未来少年コナン』みたいな感じの雰囲気にできたらいいなーと方向性が決まっていきました。まぁ賛否あったみたいでしたが(笑)

番外編作るくらいの気持ちで変えさせてもらったら、アニメーターからは結構好評で嬉しかったです。サンムーンは結構自分の知り合いのアニメーターを誘ったりしてるのですが、興味あってやってくれる人が多かったですね。 

Q:例えば亀田さんですね。 

N:あ、そうですね。飲み会で仲良くなって、自分が亀田さんの仕事を手伝ったこともあったのでお返しにとやってくれました!亀田さんはOPとラストバトルと2回も入ってくれましたね。

OPだと桝田浩史さんとか、最終バトル話数だと、久保田誓さん、佐藤利幸さん、斉藤圭一郎さん、原科大樹さんとか、スーパーな人がいっぱいやってくれたので、たくさん飲み会に行っといてよかったです(笑) 

Q:『サン&ムーン』には多くのレジェンド的なアニメーターがいたんですけど、『ポケモン』というとやっぱりベテランの岩根雅明さんですね。岩根さんの作画の魅力を教えてくださいませんか? 

そうですね、岩根さんはやっぱりタイミングが気持ちいいってのと、ポーズ変化がめちゃくちゃ激しくて絵として楽しいってのがあります。でも全て原画でってわけじゃなく、ちゃんと中割り入ってるんですよね。「中の絵が描けないよな」、「誰がこれ割るんだろう」みたいなのも色がつくとタイミングのメリハリで魅せれちゃう。あと、カットを上げるスピードがもうすごかったです。一人で6〜7週に話数一本分、三百何十カットをローテで切ってたから異常ですよね。(笑)使ったエフェクトは自分でちゃんとバンクとして管理してたり、カットのパターンやフォーマットがすごいしっかりできてるからめちゃくちゃ早いんですよ。岩根さんみたいな人って業界的にもあまりいないと思うんで、その仕事を近くで見れたのは本当いい経験になりました。 

Q:具体的に、岩根さんから何かを学びましたか? 

やっぱり動きのメリハリ感は結構影響を受けました。シーンによっては意図的に中の絵はないほうが気持ちいい時があるとか。ギャグのときのフルコマの使い方とか。動きだけでなく表情や絵の遊び方も勉強になりました。サトシやカキの魅力的な絵のアイディアは岩根さんのものが結構多いです。あと中割りをしっかり使うところとか。やっぱり全部原画で描くとカット数上げれないですから。気合入れるとこと良い意味で手を抜くとことの差がすごく良いバランスだったなと思います。 

Q:もう一人の強いアニメーターは大橋藍人さんですね。 

そうですね。大橋さんは一緒に仕事してて楽しかったです。大橋さんならではのやりたいことや好きなことが詰まってる感じの原画で、影付けとかも他と違って面白くて上がりが楽しみでした。原画が一枚一枚全部かっこいいんですよ。

『XY』から大橋さんがやられてると思うんですけど、XYで矢嶋さんを中心に西谷さんや大橋さんたちの力で『ポケモン』の作画力がバーって引き上げられて、それをそのまま『サンムーン』で引き継げたみたいな感じだったんで、ありがたいアニメーターでした! 

Q:冨安監督も若いですね。仲が良かったですか? 

仲が良かったですね。自分が『イナズマイレブン』で初めて原画をやった時からの付き合いで、その時はまだ設定制作だったと思います。『ポケモンオリジン』のOLM回で冨安さんが演出、自分がアクション作監で入ったので、そこで初めて組んだ感じですね。その時の仕事の印象で自分をキャラデで使いたいと言ってくださったような気がします。仲がいいし、気軽に話しかけてくれるし、同世代なのでこっちの意見も言いやすかったです。ベテラン監督にない近い距離感で仕事できました。

Q:湯山監督は怖かったですか? 

優しかったですよ。怒ったところもほぼ見たことないです。でも業界歴が違いすぎて「ここもっとこうした方が良くないですか?」とかなかな言える関係性ではなかったです。でもテレビはかなり自由にやらせてもらいました。「俺がいるうちは下ネタはやらせないよ」とか言われましたけど(笑)

その割にサンムーンは優しく見守っていただけたなーと。 

「もともとアクションとかエフェクトを描くのは好きだったんですよね」

Q:中野さんは元々アクションをよく描かれてるんですが、デザインはおっしゃった通り子供向けで可愛いと思います。ギャップがあると思いませんか? 

ギャップありますか?(笑)そもそもそこまでキャラクターデザインをやったことなかったんで。キッズ系の作品多かったからとか。

Q:中野悟史さんとわしおさんとのギャップですか?

うわ、バレてる。(笑) 

Q: あ、すみません。(笑)大丈夫ですか? 

大丈夫です。犬王イベントで亀田さんも言っちゃってたし。 

確かにわしおでやってた仕事は外のキッズ系じゃないものが多かったですね。それは趣味であったり経験のためであったりでやってたのですが、もともとアクションとかエフェクトを描くのは好きだったんですよね。キャラデ総作監をやるとなった時に先輩たちに「原画で動きを描く方が楽しいんじゃない?」とか「動かし屋なんだからもったいないよ」みたいな事を言われました。でも線が少ないキャラに出来たらもっと動かせるし、総作監でも動き直せばいいじゃんとも思ってたので、やれる範囲が広がるな、くらいの気持ちでやることにしました。

サンムーンのデザインで言うと元々のゲームのキャラ原案がすごく良くて、そのキャラたちとも合えばいいなーという気持ちでやらせてもらいました。 ゼロからデザインしたものはほぼなくて、原案や前シリーズのものはあったので、キャラデというよりは、総作監としていかにそれを崩さずアニメーション化するか、という意識のほうが大きかったです。

Q:だからこそ中野さんの『ポケモン』が面白くなるんじゃないですか? 

(笑)そうだったらいいんですけど。

『サンムーン』は多分他の『ポケモン』より変顔がめちゃくちゃ多いと思うんですけど、ここまでしちゃっていいんだ!とか。これで通るんだっていうラインは多分広げられたんじゃないかな。いい絵が来たら更に盛ったりして。それがもしかしたらアニメーターさんが快く思ってくれた一つかもですね。 

Q:でもそのことはどうやって許されましたか?例えば任天堂さんやゲームフリークさんから。 

わかんないですけど、やっぱり大きな会社はやる前から保守的にブレーキかけてる人が結構いるんじゃないかなと。でも「それが面白ければ通ると思うよ」と冨安さんが言ってくれたんで、監督の後押しもあってなるべく好きにやってみたら意外に通ったっていう。なので任天堂、ゲームフリークさんも面白いと思ってくれたんじゃないですかね。

あと一度劇場のポケモンの試写会で小田部洋一さんにお会いしたことがあって、サンムーンのデザインを柔らかくていい感じだから続けて欲しいと言っていただけました。めちゃくちゃ嬉しかったですが、もしかしてそのビッグネームの力の影響があったのかも、、、(笑)

Q:最後の『ポケモン』の質問。一番好きなポケモンは? 

『サンムーン』で好きになったポケモンはバクガメスです。『サンムーン』で出てきたバクガメスが良いエピソードが多くて、描くのは難しいですけど… 

Q:そう、やっぱりね、難しそう。 

そうなんですけど、そのカキとの間の関係とか、、、そういうので結構好きですね。サンムーンの前はミュウツーが好きでした。スマブラで使ってたんで。(笑) 

「という感じでBUG FILMSに行った形です。」

Q:今はBUG FILMSに入社しました。どのように関わるようになったのですか? 

自分はOLMで8年ぐらい『ポケモン』をやったんですよね。それで自分の中では結構やり切ったなっていう思いがあったんですよ。別の作品をやろうかなって時に、OLMのプロデューサーの児島さんに「この面白そうなのを今後やりますよ。『サマータイムレンダ』っていうんです」と話を聞きました。原作を読んだらめちゃくちゃ面白くて、これやりたい!ってことで児島さんの班に行くことにしました。その時児島班では『古見さんは、コミュ症です。』をやってて、監督の川越君と仕事したかったのでそれをやった後『サマータイムレンダ』やる流れだったんですけど、ちょうど『犬王』のお話をいただきまして。

児島さんと川越君に「班移ったばっかで申し訳ないですけど、こんな機会なかなかないんで『犬王』やっていいすか?」と相談したら、「じゃあ『サマータイムレンダ』に戻ってきてくれればいいから、行って良いよ。」と言ってもらえたのでそこから『犬王』、っていう流れですね。で『犬王』が終わって『サマータイムレンダ』に戻る時に児島さんが会社辞めちゃってて(笑)。「じゃあまあそっち行きますよー」という感じでOLMじゃなくBUG FILMSに行った形です。

Q:BUG FILMSで新人の教育を担当していますね。 

自分と野村という上手いアニメーターを中心にやっています。新しくできた会社なんで、OLMから来た人たちと、フリーで入ってくれた人たちだけでは数も少なく人手不足で。安定していいものを作るためには新人教育をしていかないといけないのかなと。まだ始めたばかりですが半年に一回原画試験をやって、原画マンを増やそうとしています。アニメ業界ずっと人手不足じゃないですか。なるべく自社で良いものを作れるように若手からいいアニメーターが増えていけばいいなと思っています。人に教えるのは難しいですが、教育者含めてスキルアップできたらいいですね。 

Q:中野さんには師匠はいますか? 

OLMだと原画試験があって、自分はそれに受かって原画になりました。その試験で合格を出した試験官から師匠が選ばれるシステムで、師匠になると一年間弟子の指導にあたるって感じです。自分のときは東海林康和さんというテレビ『たまごっち!』のキャラクターデザイン、総作監をやられた方が師匠になってくれました。東海林さんは丁寧で細かく仕事をされる方だったので、物体の形を崩さないように動かすことをすごく鍛えられました。演出面は監督の志村錠児さんがめちゃくちゃいい人で色々な仕事を経験させてくれました。原画3年目くらいでエンディングのコンテとか演出とか一人原画とか楽しい仕事をさせてもらえたのは有り難かったですね。

Q:絵コンテから演出とか監督をされたいと思いますか? 

コンテは楽しかったですね。ただ監督の仕事を見てるとやっぱり大変そうだなーって思います。(笑)作品作りもそうですけど、その対人関係、撮影、声優さん、脚本作り、宣伝等、絵作り以外の色んな所に出てかなきゃいけないのはしんどいなーと。今はまだ絵を描くことを主体にやっていきたいという思いが強いです。 

「自分が薄味なら亀田さんは濃い味なイメージです」

Q:はい、ありがとうございます。じゃあ『犬王』の話に行きましょうか。 

もともと湯浅監督のファンだったけど、湯浅監督本人との出会いはいかがでしたか? 

そうですね、初めてなのは『ピンポン』なのかな。でも初めてだし緊張とかもあり、打ち合わせだけで雑談的なことは出来なかった記憶です。ウニョンさんの方がすぐ仲良くなった感じでした。その後ダンディの打ち上げかなんかで湯浅さんを見つけて、お互い酔っ払ってましたけど、「湯浅さんファンなんで写真撮ってもらえますか?」と、酔っ払った勢いで近づいたのがちゃんと喋った最初かもしれないです。(笑) 

その後は制作の人とかとも繋がりできたのでちょくちょく色んな作品で参加させてもらいました。なるべく入れるタイミングがあったら入ろうと思ってたので、『デビルマン』、『ルー』、『きみ波』、『映像研』とかですね。カット数は多くないですが。 

Q:『デビルマン』とか『ルー』とかはフラッシュの自動中割りを使いましたか? 

使ってないですね。その時は完全にアナログだったんで、紙だけでやってましたね。 

Q:いつデジタルにしましたか? 

いまだに紙作業もしてるので完全デジタル化ではないですが、初めてデジタルで原画作業したのは『ユーレイデコ』からです。監督の霜山さんが知り合いで仲が良かったので、「霜山さんだったら俺の初デジタル上がりを何とかしてくれるかな」と、ちょっと甘えさせてもらって(笑)。あとキャラもシンプルでやりやすいかなと。『犬王』が最初完全にデジタルでやると話で動いてたんで、それだと自分デジタル覚えなきゃ『犬王』に入れないじゃないかとか思っていました。で、『犬王』の話の前に『ユーレイデコ』の原画の話が来たんで、「じゃあそこは原画でデジタルをちょっと慣れておけば『犬王』もスムーズに入れるかもなー」という感じです。その時は犬王は原画で入るつもりだったので。 

Q:亀田さんと中野さんはどちらが先に『犬王』に入ったんですか? 

自分の方が早かったですね。1ヶ月くらいしか差はなかったと思いますが、亀田さんは最初原画やってたので作監作業的には結構自分の方が早くインしてたかな。亀田さんも『犬王』でデジタル作業始めてたと思うんで、スタートの方は少しだけデジタルマウント取れてました(笑)

Q:湯浅監督の話に戻ると、アニメーターとしての湯浅監督の作画は何が一番好きですか?その魅力は? 

きっかけは『マインド・ゲーム』なので湯浅さんの原画は後にMADとかアニメ見直して知るわけですが、『しんちゃん』とか随所で見れる背動はめっちゃ好きでしたね。業界入る時も背動とエフェクトのかけるアニメーターになりたい!って思ってました。

他にも上手い背動はいっぱいありますが、湯浅さんの描く背動のアニメ的気持ちよさと画面全部を絵で作る力みたいなのがやっぱりすごいなと思っています。それこそ自分のツボなんでしょうね。あと忍ペンまん丸のEDとかずっと見て癒されたり。 

Q:でも『犬王』はデフォルメもあまり使わないし、湯浅監督の作品の中で一番リアルな絵柄だと思います。それは大変でしたか? 

そうですね、大変な部分は多かったと思います。一部で言うと、普通の人の着る服装はなるべく薄いものに見せたいからフォルムやはだけている感じ、動かし方に注意して欲しいというオーダーがありました。その世界観を表すため、キャラクターじゃない服装や小物をここまで細かく描くのは初めてでした。ただ、湯浅さんのセンス全開のデフォルメ作画をやるよりはまだ可能だったかもしれませんけど。良く見えるデフォルメって難しいと思うので。犬王はもともと松本憲生さんが先行で動いていたので既に原画が結構上がってて、それがかなりリアル目に描いてたし、踊っている時の服の布感とかもめっちゃ良くて。これをやるんですかという感じでした。(笑) 

Q:松本さんは基本的に何の部分を担当しましたか? 

松本さんは、最初のアバンという、犬王の父が踊ってて仮面付けるあの辺もそうだし、全編を通してポイントで入ってます。友魚が走って一座に帰り師匠が殺されるとこから最後の友魚が斬られるシーンも松本さんです。あとは犬が駆けてて、犬王と一緒に犬が餌を食べたりとか、あの辺も松本さんですよね。 

Q:ありがとうございます。『犬王』は松本さんを含めてカリスマアニメーターが多くて、デザインと原画がラフなんですね。総作監の仕事は大変じゃないでしょうか? 

絵コンテが結構ラフなんで、原画さんの方である程度そのシーンを解釈をしてもらって、カットを作ってもらえるのでスタートのラフ原が一番大変かもしれないですね。それを演出の山代さんの方で湯浅さんの指示を調節したものがこっちに来るんで、もともと上手い原画多かったし何とかなった感じです。求められることも多かったので簡単だったとは言わないですけど、、、あと上手い原画は枚数が多いのでキャラ修正するだけでも物量がすごく多くなってしまうのは大変でした。 

福島さんや榎本さんが自分より先に作監としてやられてて激ウマ作監修があったし、他の上手いアニメーターさんのレイアウトも上がってたので、映画での作画の指針が既にありましたから。後に入った自分や亀田さんはそれを目指してやってた感じでした。

Q:湯浅監督とのやりとりは前の作品と比べていかがでしたか? 

上がってきたものに対して、こういう風にしておいてくれという注文はやっぱり原画の時とは違います。自分の中では作品のタイトルが違うことより、作品に関わるポジションの違いのほうが大きかったです。原画マンではなく総作監として、より湯浅さんが望んでいるものを描かなきゃいけない、そこのプレッシャーがありました。でも近くでやれてる嬉しさもあります。同じ部屋に湯浅さんがいるんで、わからないことがあったらすぐ聞きに行けるみたいなのは、外で仕事してるとできないですから。線撮見ながら湯浅さんと作監打ちするとかもあって勝手に感動してました(笑)。 

Q:総作監として、亀田さんと中野さんのアプローチは違いますか? 

担当しているシーンの差かもしれないですけど、ダンスシーンとかはやっぱり亀田さんが動きを自分から構築したい感じでした。自分の場合は原画さんの絵を活かしつつ、監督の修正を忠実な感じでやってそこまで自分が出ないタイプかなー。亀田さんは湯浅さんの修正を取り入れながらさらに自分の味付けを出してくるタイプですかね。自分が薄味なら亀田さんは濃い味なイメージです。 

自分の方が緊張で、湯浅さんのやつをやらなきゃとなりすぎて多少硬くなってたかもしれないです。『ポケモン』だと、俺がこうやりたいからこうやっちゃえって気楽に修正できたんですけどね。やっぱり俺の中で湯浅さんは神様ですから。 

Q:ありがとうございます。で、亀田さんとの出会いを教えてくださいませんか? 

亀田さんとの出会いは13年ぐらい前で自分が外のバイトし始めてすぐぐらいの時ですね。OLMに大杉宜弘さんが演出で入っていて仲良くなったんですが、今度『ドラえもん』の誕生日スペシャルの演出やるから参加する?って誘ってもらって。犬型ロボットとネコ型ロボットが対立するみたいな話数で。亀田さんが参加していることは知らなかったんですけど、その打ち上げで初めてあったんですよね。自分は外の仕事初の打ち上げだったので緊張してましたが、亀田さんは社交性MAXだし、同世代だったのですごく話しやすくて有り難かったです。その後、別の作品の打ち上げだったりとか、アニメーターで集まる飲み会だったりとか、ちょくちょく会うようになって仲良くなりました。亀田さんの仕事は『鋼の錬金術師』も好きだったし、描く絵柄も好きだったんで、「亀田さんの作監回とかぜひやりたいですよ」っ言ってたら声かけてくれて!『スペース☆ダンディ』、『ワンパンマン』、劇場の『ドラえもん』とかもちょっとやって、そのお返しに『サンムーン』やってもらったりしてくれました。 

Q:『スペース☆ダンディ』は亀田さんの話数に参加しましたか? ダンサーの? 

それです。それと霜山さんとも仲が良かったんで、霜山さんのダンディ回もちょっとやってますね。 

Q:担当されたシーン覚えていますか? 

霜山さんの方はゲル博士とビーの宇宙船内の会話シーンですかね。演出の夏目さんに鼻からでる煙を『ダウンロード』の女の人のタバコみたいにして欲しいって言われた思い出です。亀田さんのやつはダンディが変なポーズして、江頭2時50分テキストでなポーズとか。葉っぱ伸びたり、周りの変なやつがくるくる回って……なんか変な回だった記憶すごいですね。(笑)作業は楽しかったですよ。 

Q:でも湯浅さん回に参加できなかったですね。 

そうですね。元々ボンズと自分は接点がなかったんで、本当にピンポイントで霜山さんと亀田さんの回に参加しました。そこからボンズの制作さんともつながって、『ヒロアカ』で声かけてもらったり、『ひそねとまそたん』や『血界戦線』のオープニングとか、ボンズ作品をちょくちょくやるようになりました。ダンディの打ち上げで久保田さんと仲良くなってそのまま『ワンパンマン』に誘ってもらったりもあったんで、二人のおかげですごく仕事の幅は広がりました。将来湯浅さん回に入るべく! 

Q:中村豊さんのファンですか? 

中村さん好きですよ。最近は会えてないですが、中村さんと一回朝まで飲んでそれで仲良くなったので、それ以来打ち上げとかで会うと挨拶させてもらってます。気軽に向こうからも話しかけてくれるし、トイレ中に背中突いてきたりする愉快な人です。ファンみたいなとこも確かにありますね、原画集買ったり、落書き本にサインもらって大事にとってあるし笑。 

Q:これからの企画は結局は何でしょうか?BUG FILMSの『ゾン100』が発表されましたが、参加しますか? 

今実は出向中で別作品をやってまして、『ゾン100』はポイントで参加する感じです。ちょっと重いアクションシーンとかオープニングとかに参加する感じですね。あとは社内にいるアニメーターに動きとか設計で相談されたら聞いたり、意見したりはしてるかな。あとはゾン100の後の作品の準備を少しずつやっています。 

Q: ありがとうございます。頑張ってください。応援します。 

ありがとうございます!

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