2000 年代半ば、りょーちも、沓名健一、山下清悟という 3 人の若いアニメーターのグループがアニメ業界に旋風を巻き起こしていました。「ウェブ系」と呼ばれる彼らは、アニメーション業界に入る前はウェブ上でアマチュアのアニメーターとしてスタートし、そこで表現力豊かで個性的なスタイルを開拓し、その影響は今でも感じられます。その3 人は今でもアニメで最も興味深いクリエイターです。沓名氏と山下氏はオープニングを中心としており、一方、りょーちも氏 は最近、『夜の国』やコマーシャル『あなたのフランスはどんなところですか?』などの短編を監督しています。
今年の秋にドイツでりょーちも氏に会う機会があり、そこで彼は現在取り組んでいるツールであるVRと3DCGモデリングをデモンストレーションしました。その後、インタビューをさせていただきました。その2時間で、ウェブ系と日本のアニメーションの過去と未来について、率直に話をしました。
英語版: https://ffl.moe/timo
聞き手: ジョワイエ・ルド
協力: ワツキ・マテオ
日本語編集: いすづみ、ワツキ・マテオ
このインタビューは、全文を無料でご覧いただけます。なお、このような記事を今後も出版できるように、ご支援をお願い申し上げます。
「誰にも許可を取らず勝手に始めました」
Q. まずは僕の一番大切なイベントの思い出の話を聞きたいと思います。2019年6月13日、アヌシー国際アニメーション映画祭の夜にりょーちもさんが起こしたハプニングのことを説明してくださいませんか。
りょーちも. はい、わかりました。前回フランスに来たアヌシーの時に、日本からクリエイターの人たちが自分の作品を持って発表するという形のプログラムがありました。私も自分の作品を持って発表に行く予定だったんですが、自分の作っている作品が間に合わないという状態になったんです。その作品は今もまだ完成はしていなくって、これからも作っている会社との関係で作れないんです。それで、イベントには参加できるけど、何も持っていけなくなったんです。
自分が関わるのは「教育」という形で、フランスのアニメーションを作りたいと言っている人たちにアニメをレクチャーする予定でした。そこで作品を何も出せないのが分かっていたということなんですね。「それは腹が立つな。 何か出したいな」と 思いまして、フランスに行く前の日に急遽プロジェクターを買って、プロジェクターとタブレットを持ってフランスに行きました。
フランスでプロジェクションマッピングでアニメーションを描けば、他で発表の場がなくても自分で発表の場を作れるじゃないかと思って、誰にも許可を取らず勝手に始めました。
仲間のスタッフからは「警察に捕まるなよ」ということだけ言われて、「行ってきます」と言って一人で始めました。
やったことは、フランスのアヌシーの酒場のような場所の建物の壁の部分を借りて、そこにプロジェクターでアニメーションを表示してライブドローイングしていくというものです。
フランスの人たちは、まさかそんな発表があるとは思っていなくて、どこにも情報として載っていないし誰にも言っていないことなので、最初は「何やってんだ?」という状態でした。
こっちとしては、ただ自分の表現を出すための場所として使わせてほしいということで、そのままそこでアニメーションを描くっていうのをやってて。最初は全然反応がない中で描いていたんですが、描いてるアニメーションが動いていって少しかわいい動きとかが入ってきたら、お客さんが反応し始めたんです。
あとはお客さんとワイワイしながらアニメーションを作っていました。
Q. 僕は友達を呼びました。入江泰浩さん(注1)も来ましたね。
りょーちも. はい、そうですね。
ツイッターでだけそのゲリラライブの情報を「ここでやるつもりだよ」「できるかな」「やり始めたよ」と呟いていたんですよ。そうしたら、友達のアニメ監督の入江(泰浩)さんから「何やってるのそれ面白そう」っていう反応があって、来てくれることになったんです。それで、一緒にアニメーションを描いてセッションしたんですね。それをプロジェクターで出して、お客さんに喜んでもらえました。
それも本当に何も計画していなくて、面白そうというので繋がって、そのまま作った作品ですね。
Q. いろんな人が見に来ましたね。『ひそねとまそたん』の小林寛さんや友達の高津幸央さん(注2)がいらっしゃいました。
りょーちも. そうですね。本当になんとなくのつもりで来てくれた人が大勢いました。
ビールも奢ってもらったんです。初めはちょっと怒られそうになったんですよ。一人で描いてた時にビールをかけられたんです。誰か分からなかったけど。ただ、機材が壊れなかったので「このままいける」と思ってそのまま描いていたら、最後にはビールを奢ってもらえるというところまで行ったんです。「おお、こっちの方がいい。投げられるより飲んだ方が美味しい」って思いました。
Q.(笑)良かったです。
りょーちも. すごく楽しかったですね。
Q. 友達のナンシー・フェルプスというベルギー人が同じハプニングを起こしたことがあるんです。そこではいろんなアヌシーで行けなかった映画を上映しました。ビル・プリンプトン(注3)に来てもらったし。
りょーちも. そうなんですね。
Q. ただ、彼女は捕まってしまったんです。
りょーちも. えー!わちゃー!危なかったね。
Q. でもナンシーは優しいおばあさんだから警察官までつれていけなかったのです。とにかくりょーちもさんは無事で良かったですね。
りょーちも. 自分としては「発表は自分で作るんだ」ということはあそこで勉強になったといいますか、「作るって何だろう」というのを自分で考える機会にはなりました。すごく楽しくて、良かったなと思う形でした。ただ、確かに警察が来たらアウトだったかもしれないです。
Q. そうなったら僕が守ります(笑)。
りょーちも. ありがとうございます。
「「外を見よう」という考え方を自分に教えてくれた人が小林治さん」
Q.次にりょーちもさんのキャリアの話を聞かせてください。りょーちもさんは大学には行かれたんですか。それとも専門学校ですか。
りょーちも. どちらにも行っていないです。私はもともとアニメーターでもなかったんです。もともと 2000 年代初めの頃は、日本ではイラストレーターの人たちが自分のウェブサイトを立ち上げて自分の絵をアップロードするのが流行り始めていました。
今すごく有名になっているイラストレーターさんを含め、いろんなイラストレーターさんがその時ホームページを持って自分の絵を上げ始めていました。自分もその中の一人で、自分のホームページで絵を描いていたんです。当時の自分は高校を卒業してから夜間学校に通っていました。夜間学校というのは本当は高校に行けなかった人たちが入るような学校なんです。日本では通常、小学校、中学校、高校と進み、高校を卒業したら大学に入ります。しかし、自分は高校を卒業したあとに大学の受験をしていないんです。
だけど私は科学が好きだからもう少し勉強したいと思って、高校を卒業してから夜間学校に入りました。そこで科学を勉強しながら新聞配達をしつつ、ホームページに絵を上げるという生活をずっとしていたんですね。そういう生活をしていたら、ゲーム会社の人からイラストの仕事をしてくれないかという形で誘われて、初めて東京に来ました。
Q.ご出身はどちらですか?
りょーちも. 自分の出身は兵庫です。そこで生まれ育って、当時もそこで生活していたんですが、それで東京に誘われて色々とさせてもらっていました。誘われてというよりも自分で突撃して行ったんですが。
Q.ゲーム会社は社員でしたか?
りょーちも. そうですね。あの時は一回雇ってもらって社員になって、そのままゲーム会社に居続けるつもりではいました。ただ、そこで小林治さん(注4)という監督さんから「アニメーション作んない?」と声をかけてもらったんです。自分のホームページを見て声をかけてもらったんですが、アニメーター生活はいろいろ怒られながら始めました。
日本のアニメーションの学び方には順番があって、動画を学んでから原画に上がる、原画をやってから作監になるという流れがあるにも関わらず、いきなり原画からやり始めたからです。
Q.ゲーム会社時代はどういった作品に関わっていたんですか。
りょーちも. ゲームの仕事ではそこまで有名な作品をやっているわけではありません。
『熱血パワフルプロ野球』と言われる日本のゲームがあるんですが、その背景のデザインやロゴデザインをしていました。ドット絵の携帯電話向けゲームで、そのドット絵のデザインをしていたんです。そこまで大きな会社の大きなプロジェクトで何かをしていたわけではなく、単なる受注仕事をやっていただけです。
Q.では、次に小林治監督との出会いを聞かせてください。
りょーちも. はい。先ほど自分がホームページを出していたという話をしたと思います。当時、いろんな今イラストレーターをやっている方たちがやっていました。
Q.沓名さん(注5)もそうですよね。
りょーちも. 沓名さんもそうですね。
彼もホームページを持っていて、沓名さんの場合は初めからイラストレーターというよりもアニメーターとして活動していました。あの時、色んな若い人たちが自分のホームページを持って活動していたんです。だから、そういう友達がいっぱいいたんですよ。その中の一人が小林治さんに自分を紹介してくれて、オサムさんが興味を持って自分に声をかけてくれたんです。 だから友達つながりでアニメーションに誘われたんですね。
小林治さんは日本のアニメ業界の中でもちょっと変わっている人なんです。彼のクリエイティブ自体が特殊であるというのはもちろん、考え方が違ったんです。彼は日本のアニメーションが内向きだと考えていました。日本のアニメは自分たちの世界の中だけで作品を作っていて、上手い人もその世界の中で育てて、その中からどんどん育っていくものだという考え方です。それを小林治さんは嫌がっていました。彼は「もっと外を見よう。もっと外にはもっと面白いことがいっぱいあるだろう。だからそこから人を連れて来ようよ」と考えていたんです。
自分はそれで呼ばれた一人です。 だから小林さんは決まったやり方を気にせず、自分のやり方でアニメーションを作るよう教えてくれたんです。自分はそのやり方を考えて表現するというのをやっていたんです。なので、そういう「外を向こう」「外を見よう」という考え方を自分に教えてくれた人が小林治さんです。
Q.小林さんのアニメスタイルのイベントもクラブなどでの音楽関係イベントもものすごく面白かったですね。
りょーちも. 小林さんが海外でされている活動は、実はそこまで自分は知らないんですね。
ですが、小林治さんがアニメ以外にゲームの仕事もされていることは知っています。彼はゲームの方でも友達のつながりで仕事をいっぱい作っています。遊ぶように物を作るというのが彼のスタイルです。それは自分も引き継いでいます。自分は「こうやって決まったこのルール通りやれ」というのがすごく嫌で、それよりも「もっと色々遊ぼうよ」という風にするのが好きです。
それは多分、小林治さんからの影響が大きいと思います。
Q.小林治さんは作画にとても詳しかったし、説明が上手でしたね。芸能人のように、喋れるオタクでした。
りょーちもそうですね。
「このアニメーターはすごい」「このアニメーターはこういう表現ができている」「彼をここに呼んでこういう風にさせたい」と、ものすごく語る人で、自分に色んなアニメーションのことを教えてくれました。彼は自分のことを「ちもくん」と呼んでいて、「ちもくんのタイミングは変わってるね」とよく言われていました。「普通 2 コマで打つところをなぜ 3 コマにしちゃうの」「ここはゆっくりにしたいから 3 コマにしないといけないのに君は2コマで打ってて、変わったタイミングをつけるね」といったことをよく言われていたんです。
ですが、自分は他のアニメーターのことを全然知らないから、それが正しいやり方なのかどうかもわからず仕事をしていました。
そういうところを面白がってくれて彼と色々一緒に作っていた部分はありました。
Q.小林さんがいなくなって、今は作画の話が上手くできる人は少ないです。次は誰でしょうか。沓名さんですか。
りょーちも. そうですね。
沓名さんがすごいのは、アニメーション、作画に本当に詳しいことです。ですが、それだけではないんです。彼のすごいところは、LOVEがすごいところです。
アニメーターへの愛がすごいから、自分が新しいプロジェクトをやる場合に、「あの人を絶対に呼びたい」「この人と一緒に仕事したい」「その人が仕事がなくなってきたら辛いだろうから、一緒に仕事してちゃんと稼ごう」といったことを考えられるところを含めて彼はアニメーターと一緒に行きたいということをずっと思っている人なんです。
すごく優しくて素敵な人です。
「松本憲生さんの仕事を横で見させてもらうのでシンパシーを受けて、カットの作り方と絵の作り方に影響を受けました」
Q.小林治さんの話をしたので、次は松本憲生さんの話を聞きたいと思います。
りょーちも. 松本憲生さん(注6)の話ですね。分かりました。
自分が仕事をしていた小林治さんのプロジェクトが終わり、自分が原画マンとしてそこから渡り歩いて行かないといけなくなった時、一人で仕事をしていかないといけないというのが、そのままだと自分は不安だったんです。一応頑張ってはいたんですが。
そんな自分に興味を持って引き受けてくれたのが松本憲生さんではなく、うつのみやさとるさん(注7)だったんです。
Q.後でうつのみやさんの話を聞くつもりでした。
りょーちも. うつのみやさとるさんは当初、自分が小林治さんとの仕事でやっていたことやその後の仕事を見て「りょーちも」という人間に興味を持ってくれたんです。それで、うつのみやさんがやるプロジェクトで一緒に仕事をさせてもらえることになったんです。うつのみやさんはとても厳しい方でした。
『アクエリオン』のうつのみやさんの話数で一緒に仕事をすることになった当初、自分はタイミングの付け方や、他のアニメーターのやり方を知らない中で作っていました。そこで「いろんな人の意見を聞いて学ばないといけない」と思って、うつのみやさとるさんに教えてもらうタイミングで、「こういう場合どうしますか」というのを教えてもらっていたんです。うつのみやさんも丁寧に教えてくれて、「こういうタイミングの時は、このタイミング。例えば3コマもベタで作ったらこんな映像になって、こうタイミング変えたら、こういう風になるんだよ」というのをキャプチャーしてアニメーションにして説明してもらっていました。
うつのみやさんも忙しいので、ある時他のアニメーターに「こういう場合どうやっていますか」というのを聞きに行きました。そうすると、すごく怒るんです。うつのみやさん。「僕に聞かずに他の人に聞くんだ」という状態で、一度怒ると黙ってそのまま立ち去っていくんです。
そもそも、自分は環境があまりよくないところで生まれていて、すぐに人の顔色を伺ってしまうんですね。自分の父親がすごく酒を飲んで暴れる人で、怖い人でした。その影響でどうしてもお伺いを立てて「これで合っていますか?」「これで間違っていませんか?」という姿勢になりやすい性格だったんです。うつのみやさんの怒って立ち去るという行動は父親と重なってしまうんですね。
それが自分にとってはものすごく怖くてノイローゼ気味になってしまいました。それで、アニメーションを教えてもらうことよりも「また怒られてしまう。また嫌がられてしまう」というのに耐えられなくなってアニメーションを描けなくなってしまったんです。当時は鉛筆を持って紙に鉛筆を置いた途端に意識を失ってしまうというのがずっと続いていました。そんなアニメーションが描けなくなって悩んでいたところを救ってくれたのが松本憲生さんなんです。一応、うつのみやさとるさんとの『アクエリオン』の仕事はちゃんと終わらせました。ただ、自分はもうアニメーションを描くのが難しくなっていて、これからどういう風にやっていこうか悩んでいました。
そんな時に松本憲生さんが「こっちで一緒にアニメーションを作ろう」と誘ってくれたんです。それで松本憲生さんに教えてもらうことになったんですが、松本憲生さんのスタイルが独特だったんです。それまでのように「これで合っていますか?」とお伺いを立てると、松本さんは「それでいいの?」と言うんですね。自分が「こういうカットにしたい」という絵を描いて松本さんに出すと、松本さんは「うん……それでいいの?」と返してくるんです。
自分はそれでいいのか悪いのかがわからないから、「考え直します」と言って一度持って帰って、再度「こんな感じですか」と松本さんに見せると、また「それでいいの?」と言われます。
それに対して再び「 こんな感じどうですか?」と松本さんに見せるという繰り返しでした。
松本さんは自分で作りたいものを絶対に邪魔しないんです。「りょーちもさんがやりたいことがあるんだったらそれをやればいい」という考え方です。でも描いたもののクオリティや表現については自分に聞いてきて変えるんです。「もっとこうかな」とは言うけど、「こうしなきゃダメ」「これが正しい」とは言わないんですね。だから、「やりたいことをやるためにどういう風に描くかっていうのを考えなさい」というのを説いてくれたのが松本憲生さんです。松本憲生さんの仕事を横で見させてもらうのでシンパシーを受けて、カットの作り方と絵の作り方に影響を受けました。ただ、彼のクオリティは到底人がたどり着けるものではないんですよ。絵の上手さ・アニメーションの力もありますし、とても手が早いんです。彼の中でルールが決まっているようで、描き上げていく速度が速すぎるんですよね。カットを用意して作っていたと思ったらすぐに整ったものが出き上がってしまうんです。
同じ速度では動けないですよ。
しかも迷いなく作っていきますし、イメージが分からない絵も簡単そうに描けてしまうんです。「この精度でこの間隔でこんなに自由に作るんだ。これはすごいな。学ぶことが多すぎるな」というのが松本憲生さんと仕事をして感じたことですね。技術の話だけをするとうつのみやさとるさんもすごいし、松本憲生さんもすごいんです。ですが、一人一人のパーソナリティや考え方がそれぞれ違います。
Q.人間関係が大事ですね。
りょーちもはい。
うつのみやさとるさんにももちろん魅力的なところもあるし、怖いところもあります。松本憲生さんのすごいところは、それだけすごいアニメーションを作ってすごい表現ができるのに、ものすごく姿勢が低いんです。
一緒にいたら「あ、驚きましたね」と言ってくれる、楽しいことがあったら「いいですね」と言ってくれるような、同じ高さで話をしてくれる人なんですよね。しっかりしているところもあって、「そこを守らないんだったら、僕はもう話はできない」とちゃんと伝えてくれます。そういう、すごく信頼できるしありがたいんですが甘えてはいけないということを教えてくれる人でもありました。この人に甘えてしまったら怒ってしまうし出て行ってしまうところがあって、いい距離を保たないといけないと感じていました。
Q.この松本さんとのお話はまだサテライトの頃ですか。
りょーちも. そうですね。 当時はまだサテライトでした。
Q.その時代のサテライトはすごかったんですね。いろんな方がいらっしゃって。
りょーちも. そうですね。
本当にすごいアニメーターがたくさんいました。当初は自分がどの人がすごいかがまだ分かっていない状態だったので、軽く挨拶した人の上がってきたカットを見て「何これすごい」と感じたことが何回もあります。みんなフリースタイルで、アニメーターにはずっと描いていて家に帰らない人たちがたくさんいたんですね。スタジオでずっと生活しているんですよ。
自分もその中の一人でした。家に帰るという発想がなくて、「疲れた、寝るか」と思ったらそのまま作画机の下に入って寝ていました。起きたらご飯を食べて作画をするんです。
そういう生活をしばらくしていて、それが普通だと思っていました。そういう人たちが多かったです。
Q.当時サテライトにいたフランス人たちには会いましたか?トマ・ロマンやスタニスラス・ブリュネがいたと思います。
りょーちも. 当時、まだそれほどしっかりと会っていないんですよ。
海外から来てる人たちというのは、自分には「フランスの人」という感覚がまだなくて、「日本以外の人」という感覚で、例えるとハリウッドの人のような感覚でした。きっとハリウッドやディズニーの人たちが来ているんだろうと思って、怖くてあまり近づかないようにしていました。自分は日本のアニメーションについて語れる立場ではないと思っていたので。
Q.当時のサテライトに色んな人が集まっていたのは誰のおかげでしょうか?
りょーちもそれには面白い話があります。制作進行に変わった人がいたんです。長嶺義則という人で、アフロヘアーのすごくやんちゃな男性でした。「ちょっと電話してみます」と言って宮崎駿に原画の依頼をしてしまう人なんですよ。それで「宮崎さんから今は原画の仕事をやっていないのですみません。って言われてなんか原画描いてくれなかったんですよ」と言う何も気にしてない人でした。
しかしアニメーターが大好きで、気に入った人に連絡して、「一緒に仕事しよう」と平気で言う人だったので、面白い人がサテライトに来てくれたんですよ。その中で松本憲生さんやうつのみやさとるさんを始めとしたスペシャリストが来てくれたんです。そういう人の中には、みんなが「この人がいるから行きたい」と思う中心人物がいたんですよ。
その人が岸田隆宏さんです。『ハイキュー!!』のキャラクターデザインや『ノエイン』のキャラクターデザインを担当された方ですね。彼は本当にすごい人でした。すごいアニメーターだからすごいと言いたいわけではないんです。確かに上手いですし、彼の独特のアニメスタイルも本当にすごいですが、それだけではないんですよ。いつもニコニコしていて、音楽が大好きでベースをいつも弾いている人で、ベースを弾いていい感じにリラックスしながら作画をするような人で、一緒にいると居心地が良くてすごいんです。お父さんみたいな感じの人だったんですね。
彼のことが好きなアニメーターが結構いて、「岸田さんがいるから会いに行きたい」といってサテライトに来てくれる人が集まっていました。当時、松本憲生さんも岸田隆宏さんもアニメーターで集まってバンドをやってたんですね。だから、音楽をやってる人たちで遊んでいるという側面もありました。そういう人となりのすごさもあって色んな人が来ていたんです。
「『バーディー』は自分の中で「自分の表現力では、あのように暴れられないんだ」と分かった仕事」
Q.どうして『鉄腕バーディー DECODE』(注8)は制作会社がサテライトではなかったんでしょうか。『ノエイン』とメインスタッフが同じなのに。
りょーちも. そうですね。ここには別の流れがあります。河森正治さんという『創聖のアクエリオン』、『マクロス』で監督をした方がいらっしゃると思いますが、彼と一緒に仕事をしていた方で赤根和樹監督という方がいます。2人が一緒に仕事をしていたのが『天空のエスカフローネ』という作品です。
Q.『エスカフローネ』は自分も大好きです。『ダンバイン』よりも好きです。
りょーちも. いいですよね?
『エスカフローネ』は本当に心の中まで刺さるくらいすごいですし、様々なドラマが入っている作品で、本当に素敵な作品です。その監督の赤根さんは、元々サンライズから来ている監督さんなんですが、ものすごく怒るんです。すぐ怒鳴って「何考えてるんだ!」と言いますし、制作進行が集まっているところに行って「全然できてないだろうが!」と言って筒にした紙でバンバン叩いて怒る蹴るといったことをするやんちゃな監督さんなんですね。
Q.サンライズの方だからでしょうか。富野監督(注9)みたいな。(笑)
りょーちも. 多分そこの影響を受けている富野チルドレンの一人なんだとは思います。
赤根さんは激しい監督さんなんですが、自分にとっては父親のような、怯える存在ではなかったんですね。
すごく「ガー!」と怒るんですが、間違ったことが嫌なんだということが分かる怒り方でした。「こういうふうに作りたいのになんでやってくれないんだ」というのを強くパッションで伝える監督だったので、怒っていても「確かにな。そうだな」と思える人でした。だから自分は特に怯えてはいなかったんですが、その監督さんが怒り過ぎるので、アニメスタジオ側としては嫌な存在になっていました。それもあってか、別の作品をやる時には別のスタジオへ移動されたんです。
Q.赤根さんはウェブ系の人が大好きだったんですね。
りょーちも. 赤根さんはウェブ系には好き嫌いという感情があったわけではありません。
彼が一番好きなのは岸田さんなんです。何か困ったら岸田さんにすぐ相談に行って、「これどうしよう」という話しをする機会が多かったんですね。制作の人もみんなが彼に怯えてたわけではなく、制作の中にも攻撃されたらちゃんと言い返す人もたくさんいました。赤根さんはその人たちのことを信用のおける人達だと思って仕事をしてるという感じでした。ただ、やはり場所を変えないといけなくなったので、サテライトを離れて作品を作ることになりました。赤根さんのやりたいことをやるために次の場所に行ったという形なんだと思っています。
Q.ここからは少し暗い話になると思います。最初、ウェブ系が出てきた時にそれまでと全然違う面白いものを作っていて、事件のようなことを起こしていたと思います。例えば『鉄腕バーディー DECODE:02』第7話です。すごくアーティスティックですが、アーティスティックすぎて多くの人に「作画崩壊」と言われてしまっていました。
この話数について聞かせてください。
りょーちも. 赤根さんが岸田さんと仲良くしていたという話とつながるんですが、赤根さんは岸田隆宏さんや松本憲生さんのようなスーパーアニメーターをすごく大事にしていて、そういう人たちと仕事がしたいというスタイルでした。
松本憲生さんたちは新しい形を作ってくれるウェブ系を好んでいるんです。だから赤根さんとしては、ウェブ系の人たちを松本憲生さんが望むのであればウェルカムだという立場でした。
その時はキャラクターデザインが決まっておらず、担当者を探す段階でした。そんな時に誰が推薦してくれたかは分からないですが、赤根さんから「りょーちもにキャラデザをお願いする」という電話がかかってきたんです。もしかしたら岸田さんや松本さんが「りょーちもに頼んだら」と言ってくれたのかもしれません。当時仕事は特に決まってなかったので、「いいんですか?僕で」と言ったら、赤根さんに「君の絵は魅力があるからちょっとやってみないか」と誘われた形で『鉄腕バーディー DECODE』のキャラクターデザインになりました。
自分がウェブ系の一人だから、ウェブ系の勝手に作っていくというスタイルの一人として動いてしまっているので、松本さん含めて自由に作品を作る人たちが集まりやすい場所だったんです。自分はそれを「アニメーターとしてそういうことをやっちゃだめだ」と言って止めることができない状態でした。自分がそういうことをやってしまっている人だからです。アニメーターの新しい表現に持って行きたいという欲求に対して、自分は「やろうやろう面白そう」と乗っかってしまう状況でした。アニメーターとして見ると、本当に面白い仕上がりだから良いと思うんです。だけど、商品として見た時には違いました。
1話から見せた作品のスタイルをお客さんは好んで見てくれていて、お互いが納得している状態があった中に全然違うものを入れたんですよ。だからお客さんとしては「そんな話聞いてない」「そんなものを見たいと思ってない」と感じたということだと思います。だから「作画崩壊だ」と言われる、「表現としてちゃんと出来てない」「アニメーションとしてちゃんと出来ていない」と評価される結果になったんだと思います。ただ、中にいたアニメーター達は作品が評価されていないことにショックを受けていないんです。「面白かったね」「もっとなんか色々やりたかったな」と考える人たちだったからです。ただ、管理するディレクター側や商品を作っている側からは「暴れすぎだよ」「もうちょっと何か守ってよ」という感じを受けました。自分も暴れちゃった方の一人ですが。
『バーディー』で暴れた人たちには、松本さん、沓名さん、山下清悟さん(注10)、仁保知行さん(注11)といった方たちがいたと思います。その暴れる系の人たちが暴れている中で自分も暴れたんですよ。
しかし、自分のカットは暴れているという評価にはなっていないんです。『バーディー』は自分の中で「自分の表現力では、あのように暴れられないんだ」と分かった仕事でもあるんです。だから、自分はアニメーターとしてそういう暴れるタイプの人間かと言われると、そうではないんですね。ウェブ系の中で、沓名健一、りょーちも、山下清悟が元祖系と言われています。自分からすると少し違います。
小林治さんに「原画マンからいきなりやっていいよ」と言われて入って右も左も知らないのがりょーちもです。ですが、沓名健一は違います。初めからアニメーションをものすごく研究していて、色んなアニメーターのことを知ってる上であの表現をしているんです。山下清悟も同じです。アニメーターに憧れて表現をし、その中で沓名健一と山下清悟が一緒に成長していったんです。その形がウェブ系なんです。
自分はアニメーターのなり方のスタイルはウェブ系だと思います。しかし、考え方は違います。自分はテックが好きで、サイエンスが好きで、だから技術が好きな人間です。アニメーターや表現については考えていないんです。「これってどうやって動いてるの?」「この反応って何なの?」「こう運動させると面白い」「どうやるとキャラクターが可愛らしくなるんだろう」「3Dでやったらどうなるんだろう」といったことを考えていて、考えていることがアニメーターとはズレた人間なんです。だから自分を「ウェブ系」として一緒にくくると分からなくなるんです。
おそらく「ウェブ系」と言われるものの本質は「アニメが大好きでしょうがない。だから、その表現のために今のアニメのやり方は無視してこういう風にすべきだ」という考え方なんです。
「ウェブ系がただのファッションに変わっていきました」
Q.りょーちもさんは沓名さんが作った2ちゃんねるの「作画を語るスレ」は読んでいましたか。
りょーちも. 読みました。
Q.では、相当な作画オタクだったんですね。
りょーちも. 沓名さんは「作画を語るスレ」を作るほど、その時から異常な知識量と異常なアニメーターへの愛があって、それを見ている人たちがたくさんレスを書き込んであのスレッドは成長したんですね。
本当にアニメーターのために出来た仕組みです。
だけど、社会的にアニメーターのために出来た仕組みは日本には無いんです。「作画を語るスレ」はアニメーターが好きにやっていただけで、社会的に守られる、作品としてお客さんが見たがるものではないんです。そんな中でスレッドを成長させていたことは、アナーキーでかっこいい、ロックだと言われるスタイルだと思うんです。それがおそらく「ウェブ系」という形の元祖、根幹だと思っています。
Q.『バーディー』2期7話では後に DVD になった時にシーンを置き換えられてしまうという出来事がありましたが、その点については傷ついたんでしょうか。
りょーちも. いえ、その点は傷ついていません。傷つき方が違います。
自分が大きく傷ついたのは、「自分は一人前のアニメーターではない」ということに気が付いたからです。キャラクターデザイン、作監、総作監で頑張ってはいました。しかし、自分はそんなに手が早くないので、松本憲生さんのようにはできません。あんな速さで描けないし、あのクオリティのラインでずっと描くことはできないんです。ですが自分なりに描くしかありません。
だったら Flash を使えばまだやれると思ったんです。Flash でキャラクターの図形を作ってアニメーション化させる、カメラワークを Flash で設計してテストする。そういった形でツールを使うことで自分はまだやれる、という発想でずっとやってきています。自分にはツールに対する愛情、関心がずっとあるんです。しかしそうして走ってみても、アニメーターの人たち、松本憲生さん、沓名健一さん、山下清悟さんといった表現者のやりたいことと、自分の「テックが好き」という考え方は全く相容れないんですね。
「表現にいろいろトライしたい」という人たちと同じ方向を見ていないということを感じたんです。「僕はそういう面ではアニメーターとは名乗れないな」と感じたのが一番傷ついたところでした。ですが、「作品が直された」「それを監督は NG だと言っている」といったことでは全く傷つかないです。それぐらいのことをしていますからね。守っていないですし、好きなことをやったんです。それは怒られますよ。
怒られるのは謝罪するだけだから別にいいですが、「やるぜ」と言って暴れてみたら「お前の能力では一緒に『やるぜ』と言っている彼らのようにはなれないよ」というのを見せつけられたから傷ついたんです。「僕は『やるぜ』と言える人間でもなかったのか」というのを知ってしまったから傷ついたのが一番大きいですね。
Q.DVD での描き直しの際、ちもさんは描きましたか。
りょーちも. 自分の方で直した部分もありますが、監督が激怒しました。
「りょーちもが『やっていいよ』と言った結果がこれだよ。だから君の意見なんかもう信じない。こっちで勝手に直すから、もう触るな」という状態でした。だから自分は手を出せていません。暴れたアニメーターたちを怒ることは出来ないから、りょーちもを怒るという形で決着をつけたということになっています。自分としては監督とアニメーターの両方から嫌われて「りょーちもはもう一緒にはやれないやつだね」となっただけです。
Q.小林さんの『グレンラガン』の4話も同じことが起きましたよね。ちもさんはこの話数には参加されましたか。
りょーちも小林さんの『グレンラガン』の話数は自分がちゃんと手伝えたわけではないんです。自分が肺気胸になったんです。少しは描こうとはして描き始めてはいたんですが、本当に何も出せないうちに自分が倒れてしまったんですよ。りょーちもに頼もうとしていたカットはオサムさんがやるしかなくなって、大変なことになってしまいました。だから自分は手伝えなかったという形になっています。
Q.『NARUTO -ナルト- 疾風伝』のペインと九尾の戦い(387話)でも山下清悟さんが担当して多くの人から「作画崩壊」と言われましたよね。
りょーちも.その話数にはもう自分は関わっていません。
Q.関わっていないことは承知していますけど、こういった「ウェブ系事件」とも言えることが起きて、アニメ業界に影響はあったんでしょうか。
りょーちも.「ウェブ系」という言葉自体が、初期段階の例えば『鉄腕バーティー』のようなトラブルを通じて、ロックな生き方を指すようになったんです。
「ルールを守らないで、自分たちの好きなことをやる。アニメーターで、表現を依頼されてるんだから、表現を自分たちで工夫していいだろう」という生き方を「ウェブ系」というように認識されるようになりました。「ウェブ系」の元々の意味は、おそらくご存じだと思います。
ウェブでホームページを持っている人たちが、それまでのアニメーション業界の動画から学んで原画になるというフローを飛ばして原画になったんです。それを「ウェブで有名だから来たんでしょ」とディスって「ウェブ系」と言い始めたんですね。おそらく『鉄腕バーディー』の頃から、「ウェブ系」がそういうディスリ用語からロックに生きるスタイルを指すように変わったと思います。 ダフト・パンク(注12)のような感じですよね。そういう価値観の変化が起きて、それ以降、ウェブ系はかっこいいという風にはなりました。
しかし、ウェブ系ごっこが生まれるようになってしまったんですよ。「俺もウェブ系になりたい」という人たちが来るようになり、ウェブ系がただのファッションに変わっていきました。それがその時期だと思います。
Q.そうですね。最近はいろんな外人のアニメーターが、ネットのおかげでどんどんアニメ業界に入っています。りょーちもさんはそれについてどう思いますか。
りょーちも. それこそが小林治さんが望んでいたことだから、自分としては「やっと来てくれた」と思っています。ウェブ系という始めはディスられていた存在が、今となっては当たり前です。動画から始めるわけではなく、面白そうだから業界に入ってやってみて、魅力を感じて仕事が続いているというわけです。「これこそアニメーションじゃん」と感じます。この流れ自体は大好きだし、すごくいいことだと思っています。
Q.実はフランスのアニメの学校では原画から学びます。原画で動きを理解してから、そのあとに動画などを学びます。
りょーちも. 普通に考えればそれが正しいです。その結果、今は二原から入るというのが増えてきているんですね。二原と動画を行ったり来たりするようなやり方が、少しずつ浸透してきています。動画からでないといけなかった雰囲気が、「それでもダメという人はそれでいいじゃん」という少し自由な感じになってきました。でも日本はそうやって自由になってきたと思っているけど、フランスを考えたら初めからそうやってるんですよね。
Q.そうですね。
りょーちも. だから、「ようやく気づいたか」という状態が、今の日本のアニメの現場だと思います。
Q.ただ最近の問題として、外人のアニメーターは仕事がきちんと出来ないから、作監が大変な思いをしているというものがあります。それについてはどう思いますか。
りょーちも. そうですね。そこに関しては、自分は作監さんにすべてを頼みすぎだと思っているんですね。
Q.そうですね。
「「ウェブ系の終わり」ではなく、「ウェブ系というものを求めていた人たちの見たかったウェブ系がただ終わっただけ」だと思っています」
りょーちも. 昨日のイベント(CONNICHI 2023)で3Dを作りましたが、自分はそろそろ3Dも普通に利用してアニメを作るべきだと思っているんです。
顔のディテールを保つ、等身を保つために作監さんに頼らないといけないというやり方は、みんなが大変なだけだと思うんですよ。スーパーアニメーターになってなんとか描けるようになってもらってそういうやり方を続けるというのも、もちろん技術を身につける上では大事だとは思います。しかし、結局は上手い人に全部頼むという形になってしまうんです。
そういうやり方でみんなが困っているのであれば、そろそろアニメーターが立体を作ってみんなに配布して、それをなぞれば出来るから、それを使って好きな動きをさせて色んなアニメーションを描くのがいいと思っています。顔が似てなかったら、3Dを突っ込んで描く、定規に合わせて描く。そうやって使えばいいと思っているので、自分は 3D を使います。
Q.最近、神山健治監督の『指輪物語』はそうやって作っていると聞きました。まだ制作の始めですが、そこではそうやっています。
りょーちも. あ、やっているんですね。
Q.3D を作って、そのあとにアニメーターが作っています。3D の前に 2D を描いています。りょーちもさんの仰るようにロトスコープとは言えませんが。
りょーちも. 確かにそうですね。多分なんですが、『鬼滅の刃』も 3D を多用しているんですね。 3Dレイアウトでアニメーションを作っているから、おそらくキャラクターのガイドとしても利用しているはずなんです。多分、アクションまでは利用していませんし、顔の作監修正にも利用していないと思います。
だけど、最初にラフのキャラクターを置く時には、おそらく利用しているんです。だんだん 3D が使われ出していると思います。昨日のイベントで「自分はアニメの業界の人を救いたいわけではない」という話をしたと思います。自分も3Dの仕事を経験しました。3Dの方がお金がもらえますし、仕組みが出来上がっています。
そこで驚いたことがあります。各制作の人たちが全部パイプラインを説明できるという知能を持っているんです。2Dのアニメーターや制作の人はこんなにちゃんと語れません。感覚でやっているので。それが本当にショックでした。
だからアニメーターも含めて2Dのアニメの人達はもっと作り方に対して考えを変えていかないと今の状況から抜け出せません。ですが、それは今までの「感覚でやる」ということを一回やめないとできないことです。だから、それは彼らにはできないんです。そういうことがよく分かったから、「3Dも使ったほうがいい」「3Dのやり方が正しいから学んだ方がいい」「それによって2Dのやり方を一回やめたほうがいい」ということを無理やり彼らに伝えるべきではないんですよ。彼らは彼らの好きなやり方があるから、それを続ければいいんです。
だけど、そのやり方だと大変だし、地獄が起きます。だけど、それが好きなんだから続ければいいんです。そこにはもう、僕は何も言いません。そのままやればいいんです。それで死んでしまうんだったら、それで死んでもいいんです。それが続けたいことなんだからやればいいんです。だけど、自分は一緒になって死ぬ気もないし、そのやり方こそがアニメとして正しいとは思いません。使えるものは全部使う、楽できるとこは楽する、面白いとこは面白がる、好きなようにやるというのがアニメだと思っています。3Dの人にモデリングしてもらって、それを作画に使っても良いですし、鼻や目の形が少し違うと思ったら、自分でモデリングすればいいんです。曲げて動かして作画ガイドにしたいけど、ただのTポーズにしかなってないのであれば、2Dのアニメーターが自分でボーンを入れて曲げればいいだろうと思っています。
自分で形を作って、自分でガイドを作ってアニメーションを作れば良くって、自分は3Dも2Dも両方好きなように使うべきだと思っています。
Q.ちもさんのキャリアの話に戻したいと思います。どうして『夜桜四重奏』のOVA(『夜桜四重奏 〜ホシノウミ〜』)が生まれたのでしょうか。前のTVシリーズ(『夜桜四重奏 〜ヨザクラカルテット〜』)があったのに、描き直していますが、どうしてですか。
りょーちも. まず、ヤスダスズヒトさんという漫画家さんがいますが、彼はホームページを作っていたイラストレーターの一人です。彼がイラストレーターを50人ぐらい集めて飲み会を開いてたんです。その中に自分やヤスダさんもいたんですよ。いろんな有名な漫画家さんや当時同じようにやっていたイラストレーターさんたちが集まってワイワイしていたんです。そこにはヤスダさんと話はじめて、どんどんしゃべり進んでいつの間にか自分が新しい『夜桜四重奏』のアニメ化を監督することになってしまいました!
Q.結局、監督、作監、絵コンテ全部しましたね。
りょーちも. はい、やりました。
Q.原画もやりましたよね。
りょーちも.もうぐちゃぐちゃです。はい、全部やりました。
Q.どうやって、そんなにやったんですか。先ほど手は早くないと言っていましたが、早いですよね。
りょーちも. 手は早くないです。
Q.寝れなかったんですか。
りょーちも. はい。寝れなかったですし、やることが全部ガッと倒れ込む中だったので、朝まで仕事して少し帰ってまた戻るという生活をずっとやっていました。そこで結婚をして子供ができたんですよ。でもそんな生活だったのでものすごい問題になりました。別れるか別れないかという問題になって、生活を改めないと、このままだとグチャグチャになると感じるところもあったんです。
『夜桜』をやっていた時は、それまでのように無茶して全部フル稼働しないと終わらないということと、反対にフル稼働すると離婚するということ、その中でバランスをとっていくしかなかったです。だから今もまだ家族には恨まれています。妻から「あの時、本当に私たちを守ってくれなかった」と言われています。「息子のことも守らなかったし、妻のことも守らなかった。仕事ばっかり行ってた」と言われるんです。
反対に、仕事の方からは「頑張ると言っておきながら、家に帰って、仕事をちゃんとしてくれない人」となっていました。やれること全部はやってるつもりだけど、みんなからは「あなたは全然できていない」と言われ続ける状態になっていて、だいぶ苦しかった時期でもあります。一応、やり通せたから一つの形にはなったんですが、バランスは大事だとすごく感じました。やれることを全部やるような、頑張って何とかするスタイルではダメで、ちゃんとやれる人にちゃんとお願いできるような仕組みを作っていかないとダメだと感じました。
Q.でも、OVAの第2シリーズ(『夜桜四重奏 〜ツキニナク〜』)もありましたし、テレビシリーズ(『夜桜四重奏 〜ハナノウタ〜』)も作りました。
りょーちも. はい。そのテレビシリーズの時にそうなったんです。OVAの時に結婚したんですね。子供ができたのは、テレビシリーズの時です。だから、『夜桜』をやる中でだんだんギューっと詰まっていきながら問題が起きたという形ですね。
Q.沓名さんによって『夜桜四重奏 〜ハナノウタ〜』はウェブ系の終わりだと言われたことについてはどう思いますか。もうロックンロールではなくて、普通のアニメになってしまったということですが。
りょーちも. そこに関しては自分は分からないんですよ。
なぜかというと、自分がウェブ系から追い出されてしまった人間だからです。だからウェブ系が滅んだかどうかというのは自分には判断がつかないところなんですが、自分から見てみると、ウェブ系の人たちはいつまでも「『これが面白いぜ』というのがウェブ系だ~」というのをずっとやりたがる人たちではないからそうなってもおかしくはないなと思うんですよ。
もっと面白いこと思いついてもっと違うことをやりたいと思ったら「俺、ずっとアニメ作っててもな」みたいにもなってしまうところまで入ってきているので、彼らにとっては人生の生き方の中の一ページになっているんですね。
だからそう見ると、別にそれは「ウェブ系の終わり」ではなく、「ウェブ系というものを求めていた人たちの見たかったウェブ系がただ終わっただけ」だと思っています。本人たちはこれではウェブ系は続けられないとは思っていないでしょうし、「ああ、ウェブ系って終わったんだ、へえ」くらいにしか思っていないと思います。おそらく、終わり、ピリオドだと思っているのは、お客さんたちだけで、作っている人たちはもっと面白いことをやりたいし、もっと違うことをやりたいと思っています。
沓名さんは沓名さんで、山下さんは山下さんで自分たちのやり方をどんどん突き詰めているから、「何も終わってないんだけどなぁ」という風にこちらからは見えます。
「竹内孝次さんは今までのルールをぶち壊しても構わないと思っているおじいちゃんなんです」
Q.ちもさんというと若きアニメーターの教師としていろいろ教えていますね。
りょーちも. え、そうですか?
Q.そういうイメージがあります。先ほどのイベントのプレゼンテーションの中にスタジオで若きアニメーターを育てるという内容があったと思います。それに、このアヌシーや日本でも竹内孝次さん(注13)のアニメーションブートキャンプで講師として教えていますよね。いつから若いアニメーターを教えることになったんですか。『夜桜』のころじゃないですか。
りょーちも. アニメーターを教えるのは早い段階から諦めています。
Q.ええ!
りょーちも. 動画から学んで、原画になってスーパーアニメーターになっていくというステップで必要になってくるアニメーターのスキルは、ジブリのスタイルのように、丁寧に物事を見て、丁寧に一つずつ理解して表現していくということです。自分はその考え方自体には同意しつつ、「しんどくない?」と思うんですよ。だから、それを若い子たちにも「そうしないとアニメーターになれません」「そうしないとスーパーアニメーターの道は進めません」と言う気は全然ないんです。好きに描いたらいいですし、極端なことを言えば、絵を描かずコピペ貼りつけだけでやってみたらいいんじゃないかと思っています。
そこはウェブ系の時から何も変わっていません。アニメを表現するのに描かないといけないというルールはないんだと思ってしまうから、アニメーターにそういうつもりで教えられないんです。だから若い子たちを育てることについては全然考えていないです。アニメーションブートキャンプをやっている理由は、ブートキャンプをやっている竹内孝次さんというメインのディレクターの方に誘われたからです。
元ネタ、竹内さんは、1990年代にアニメの仕上げに対してデジタルを持ち込んだ人なんです。
Q.そうですね。『もののけ姫』ですね。
りょーちも. そうかもしれないです。
彼は仕上げ業界からものすごく怒られたんです。竹内さんもアニメ業界に対して悩んでいて、どうやったらみんながちゃんと実力をつけてアニメーターとして食べていけるのか方法を探しているんです。そう言いつつ、デジタルを取り入れて仕上げの仕組みを改善するという体で今までのやり方に対して “NOT” という形でブレイクさせた人なんですね。みんなを幸せにするためだったら、今までのルールをぶち壊しても構わないと思っているおじいちゃんなんです。
そのおじいちゃんが自分の「今までのアニメーションの考え方なんか知らないからもっと好きにやったらいいんじゃないか」という考え方に対してシンパシーを感じてくれたんです。
彼が「あ、同じだ。俺のそのブレイクしたいという気持ちと似ている。そういう考え方なのであれば、お前も教えられる。俺は若い子たちを育てたいから、それに対してお前の力で手伝ってくれ」と言っているので、「ああ良いよ、じゃあやるよ」と言って手伝っているのがブートキャンプです。ブートキャンプの中にはスーパーアニメーターとして稲村武志さん(注14)がいます。今はポノックにいるんでしょうか。
Q.そうだと思います。
りょーちも. 稲村さんは、すごく丁寧なアニメとは何かということを論じ、そのための技術を持っている人として教えられるんです。しかし自分は稲村さんのような技術を持っていません。それに、アニメーターとして超一流になるためのやり方に対しても、「分からなかったらロトスコすればいいんじゃない」「動きをどうしても研究したいのに頭の中でイメージができないんだったら、録画してコマ送りすればいいじゃないか。なんでダメなの?スポーツ選手は試合を録画して研究してるんだよ。やって何がダメなんだ」と思ってしまうところがあります。
アニメーターのソウルフルな部分についても、自分は少し違う角度から教えるんですが、稲村さんはそこまで怒らないですし、好きなように教えたらいいんじゃないかと多分思ってくれています。
ブートキャンプで教えている先生方の年齢がだいぶ上がってしまったんですよ。だから周りの先生方に比べて自分は若い方なので、稲村さんたちは「そういう考え方が入ってもいいんじゃない?」という感じで見てくれて、今もブートキャンプをやってます。
自分は竹内じじいが元気でいるうちは手伝うつもりです。ブートキャンプに対しては「教えて育てたい」という感じよりも、遊びに行っている感じがあります。「もうみんな好きに生きなさい」「自由にやりなさい」という感じです。
Q.昨日のイベントで行った授業のような感じですか。それとも2Dの普通のアニメのような感じですか。
りょーちも. そこに関しては受けたオーダーによって変えています。
2Dの先生を頼まれたら、2Dの教え方で、3Dの先生を頼まれたら、3Dで2Dの考え方を教えるということにしているんです。授業配分に入ってないから全部は教えられません。もしそうしたら、多分竹内じいちゃんが困ってしまいます。「りょーちもが勝手なことばかり言って取りまとめられなくなって、何も教えられなくなってしまう」と言っていました。その代わり、自分の考え方で授業をやらせてもらっています。
「そんな業界なんて、くそくらえだと思うんです」
Q. 現代のアニメ業界の一番大きな問題はこれではないですか?最近はスタジオで若いアニメーターを教えることがあまりないと聞きます。
りょーちも. はい。
自分は前回アヌシーに来た時に作っていた作品を作るにあたって会社を始めたんです。
その時に、その会社の社長になった迫田祐樹さんという方と一緒に仕事をしたんですが、そこで自分の考え方も整理できるようになってきて、色々と学びました。「アニメ業界」という考え方がおそらくもう通じなくなっていると思っているんです。
3Dの映像制作会社として、例えば、白組、サンジゲンなどがあると思います。その中にロボットという会社があります。この会社は3Dの映像制作会社なんですが、どちらかというと、3Dの「映像」制作会社です。「アニメ」業界や「CG」業界ではなく、「映像」制作会社なんですよ。仕事として受けたら映像を作るよという会社なんです。
例えば今日、糸曽賢志さんが「あの壁を作る」という話をしていましたが、あれに近いんですね。要するに、別にアニメーターだからアニメしか作ってはいけないというわけではありません。作りたいものがあったら作っていいんです。
そう考えたら、「アニメ」業界なんて言って「アニメだけしか作れない」というようなことを言ってるから苦しんでるんだと思うんです。そうではなく、「作りたいのは今回これだった」「だからこれをやった」「そのためには、実写の人たちが必要だったから呼んだ」「今回は音楽をやりたいからバンドを呼んだ」。それでいいんです。
作りたいものを作るためにどうしたらいいかを考えればいいだけなんだから、新しい人たちを育てるのに、そのアニメーター「だけ」育てないといけないんでしょうか。「そのやり方はアニメーターとして正しいか間違ってるか」ということに、そんなに固執しないといけないんでしょうか。「それ、本当に大事?」と自分は思ってしまう人間です。
自分は、「描きたいな。描けないな。じゃあ頑張って描けるように勉強しよう」「歌いたいな。歌えないな。だったら歌えるように声の練習をしましょう」「弾きたいな。弾けないな。だったら楽譜を覚えて音楽ができるようになりましょう」「3Dのキャラクターを作りたいな。作れないな。だったらモデリングを覚えましょう」という感じで、今やりたいと思ったことをやれるようにするために徹底的にやればいいだけだと思うんです。
その中で「アニメーションの動き方が分からないな」というのであれば、例えば「立ってみるってどうやるの?」という感じとかで教えることはできます。しかし、「一般のスーパーアニメーターになるための道を教えてくれ」と聞かれても、「誰かスーパーアニメーターだと思う人にそのまま行って弟子にしてくださいと言えばいいんじゃない?」と思います。自分がアニメーターを教えなくなった理由はそれです。
自分たち一人一人のアニメーターが、「自分はあのスーパーアニメーターのようじゃないから、教えるに値しない」と考えているから、教えられないだけなんです。それを容認しているのが「アニメ業界」という考え方なんですよ。
自分はそんな業界なんて、くそくらえだと思うんです。自分は映像を作りたかったら映像制作会社、音楽だったら音楽会社のように、何とでも名乗ります。やりたいことをやれるようにすればいいだけだと思っているから、その方法を毎回探しているだけです。教えられないことは問題だとは思っていません。教えたくないんだったら教えなくていいですし、教えたかったら教えればいいんです。いいものを作りたいのであれば、いいものを作るための方法を探せばいいんですよ。自分はそう思っているだけだから、アニメを作りたくないんだったらやめればいいんです。
新しい人を導けない人たちに対しては、そういう風に「好きにしたら」と思っています。
Q. やはり松本憲生さんよりも小林治さんの弟子ですね。
りょーちも. そうだと思います。
「だから海外に向けて作っていこうとしています」
Q. (笑)さきほど言っていた会社の名前は studio daisy ですか。
りょーちも. いえ、違います。
スタジオパンケーキというツインエンジングループの会社です。その時作った一人として、迫田さんは社長、自分は役員として入っています。その当時 studio daisy はまだなくて、その時はツインエンジンのデジタル作画部という部署でした。当時一緒に仕事はしていましたが、まだ会社にはなっていなかったです。
Q. わかりました。
次にフランス観光のプロモーションビデオ(『あなたのフランスは どんなところ?』)の話を聞かせてください。まず、フランスの国民から「ありがとう」と言わせてください。
りょーちも. あ、いえこちらこそ。本当に楽しい仕事をありがとうございました。
Q. ロケハンはどうでしたか。
りょーちも. ロケハンに行きたかったんです。ですが、コロナで行けなかったんです。
Q. へぇ。ひどい話ですね。
りょーちも. だから現地のフランスの方にスタッフとして行ってもらって撮ったんです。
ウェブで相談して、「こんなで動画でどう?」「もっと下から撮ってほしい」「もっと上から見たい」「あそこの上から見れないの」「じゃあちょっと今から登ってみます」「ここからの景色でどうですか?」「あ、なるほど」といった話をしながら作っていました。現地に行ったらもっとリアルに感じられましたが、それが出来ないから客観的な形で映像を作って整えました。本当は行きたかったです。
Q. では、グーグルマップを見て調べたりしたんですね。
りょーちも. そうです。
「ここから見たらどう見えるんだろう」とグーグルマップのストリートビューでモン・サン・ミッシェルの砂浜のところから撮ったらどうなるかを調べました。
Q. モチーフにした場所はどうやって決めたんでしょうか。
りょーちも. フランス側のクライアントがアニメ制作の為にお金出してくれるフランスの地域を探して、パリなど、お金を出してくれた地域を選んで、各地域の CM を作ったんですよ。だから、パリのサマリテーヌは同じ場所なのにお金が2口入ったので2つ作っているんです。
Q. どういう経緯で生まれた企画なんですか?ちもさんが参加したきっかけは何だったんでしょうか。
りょーちも. この企画自体は元々、別のスタジオに発注された仕事でした。ただそのスタジオは劇場等で忙しくて出来ないので断ったんです。それで企画側が諦めようとしていた中で、studio daisyが引き取ったんですよ。自分が参加した理由は、この CM の前に studio daisy で『夜の国』を作っていて、「その方法で作ってみる?」と持ちかけられたからです。
Q. 『夜の国』もすごく面白かったです。
りょーちも. 本当ですか?ありがとうございます。
Q. 最初の話数は本当に感動しました。男だから泣けないんだけど、我慢しました。
りょーちも. あれは高久麗さんというツインエンジンの企画部の女の子が出した企画なんです。その子にヒアリングして、「どんな思いだったの」「どんなことで悩んでるの」という情報を掘り出してまとめたのが『夜の国』という作品なんですね。その企画の高久さんは、自分が大学の非常勤講師をやっていた時の生徒なんですよ。その子がツインエンジンに入って頑張っていて、「自分の企画を出して、映像を作りたい」と言っていたから、「じゃあ手伝うよ」と言って手伝ったのが『夜の国』です。
Q. 『夜の国』は特にデザインがすごかったです。それに、日本のアニメと少し違う感じがしました。アヌシー映画祭のインディペンデント作品にあるアーティスティックな映像のような印象がありました。ちもさんの短編映画をそういった映画祭に送ってみたことはありますか。
りょーちも. 自分がそういう映画祭と合っているのかどうかは分からないですし、映画祭のこと自体をあまり考えていなかったので、出してはいません。今回、「ライアンズ・ワールド」とは映画祭に出そうという話になっています。その辺は糸曽さんのアイデアです。彼が「ちゃんとそういうのはコンペティションで出した方がいいよ」と言ってくれたんですよ。「そういう発想はなかったわ」と思って、「じゃあ今出そう」と考えたんです。
Q. そうですね。
日本のアニメーターには最近ウェブアニメーターの人が多くて、自分で短編映画を作っているにもかかわらず、全然映画祭には出さないですよね。賞がもらえるのに全然そういうことをしないです。それはやはり日本に「アニメ業界」という固定観念があって、それで映画祭に出品するという考えがないということなんでしょうか。
りょーちも. そうです。
studio daisy がフランスのCMをやった理由はそこなんです。日本の中で日本国内に向けて作っても、国内の人たちだけが喜んでどこにも広がらないんですよ。それだったら海外の人達となにか仕事がしたいと考えたんです。フランスの CM の仕事はそれに合っていました。だから「やりましょう」ということになったんです。もうあまり日本を見ていないんです。「日本の人たちに受けるかな」「日本の人はどう思うかな」といったことは何も考えていなくて、「見たかったら見てください。日本語だから見れるでしょ」くらいに思っています。
それよりも海外の人たちが「おっ、何これ」と思ってくれた方が全然いいです。
だから海外に向けて作っていこうとしています。
ライアン君も日本のお客さん向けに作っていないですよね。完全に英語ですからね。だから、日本の人たちがいいと思うかどうかは日本の人に任せます。もう自分はそこで勝負することは考えていないですし、ウェブ系の時のようなアクティブなバトルシーンや激しい映像効果を求められても、僕はもうウェブ系から追い出された人間だから、彼らのように戦うことはしません。それは彼らがやればいいんです。
その代わりに僕は何がやりたいかというと、技術的に問題が起きた時に、ツールで解決しようとしています。アニメーションは色んな人が関わって、時間が延びるといった問題が発生します。そういう問題は全部、ツールでさっさと済ませばいい良くって、3D を利用して自分の好きなようにやって解決すればいいと思っているんです。
『夜の国』の場合は 3D の上から絵を描くやり方を選んでいます。だから、自分はウェブ系のやり方としては多分アウトです。日本のアニメーターのやり方としてもアウトだと思います。だけど、自分のやり方としてはこれで押し通せるんです。これしかもう、自分の武器はありません。だから覚悟を決めて今のやり方を選んでいます。そのやり方で「一緒にやる」と言ってくれている人たちと一緒にワイワイやっているんです。
だから、「アニメ業界をあなたはそれで救えると思っているんですか」「なぜそのやり方でアニメ業界を救おうとしないんですか」と言われても、理解できません。「あんた方が今まで聞かなかったんでしょう。なんで今更?」と思ってしまいます。そう言われたら、自分はアニメ業界の人でもアニメーターでもなくていいですよ。今はやりたいようにやっているんです。
Q. とりあえず、ちもさんはもうカリスマアニメーターの経験がありますし、
りょーちも. ないですけどね(笑)。
Q. 監督としてすごく面白いテレビシリーズも作りました。
りょーちも. ありがとうございます。
「塚原さんが「作るってこうだよ」という気持ちを教えてくれます」
Q. 次は映画祭で賞をもらってアーティストになるのが次の目標じゃないですか。
りょーちも. なるほど。それはいいかもしれないですね。
自分の中には、自分がすごい何かになっていくという感覚はもうなくなってきたんです。どちらかというと、一緒に面白いことをやれる人たちと「面白かったな」「これ良かったな」ということがやりたいだけなんですよ。そのために必要なものを今は集めているだけなんです。もう、だんだん技術の話でもなくなってきていますね。
おそらく、感覚的に分かり合えた人たちと「面白いな」と思う上で、技術的に必要な部分はみんなにトレーニングしてもらってやれることが、今後自分が死ぬまで続けることだと思っています。
Q. 一緒に仕事をしている塚原重義さんについて、少しだけ聞かせてください。
りょーちも. スタジオパンケーキの社長の迫田さんという方と一緒にいた人が塚原監督です。迫田さんは塚原監督とずっと仕事をしてきています。そこに自分が参加したという形です。
だから、自分はそこで塚原さんと繋がったんですが、彼が面白いんですよ。考え方も含めてぶっ飛んだところがとても面白い人なんですが、アニメーターとは違う面白さなんですよ。
個人作家といわれる個人のクリエイターたちが持っている本当の面白さを彼は持っているんです。自分がアニメーターといえば商業だと思っているアニメ業界や「こうしないとアニメは駄目だ」と言っている世界に長いこといてしまったせいで、ホームページを持ってワイワイやっていた時の感覚がどんどん薄くなっているんですね。
だから、自分は「ちゃんと正しくアニメを作らないといけない」という考え方に憑かれているんです。それに対して、塚原監督は「そういうのあるんですね。知りませんでした」という感じで自分の作りたいものを作っているんですよ。自分と同じく Flash を使っているのもあって、塚原さんを見ていると、「自分が長い時間かけて無駄に消費してしまったのはこれだったんだ」という気持ちになります。
彼を見ているとものすごく気持ちがいいですし、「そうだった。そうだよ。作るってこうだよ」という気持ちを教えてくれます。個人作家という個人の力をどこまでも高めていった流れの一人が塚原さんだと思います。
Q. ありがとうございます。次に劇場版『ドラゴンボール超(スーパー) スーパーヒーロー』について聞かせてください。スペシャルサンクスとしてりょーちもさんがクレジットされていますが、これはどうしてでしょうか。
りょーちも. あれに関しては、初期のビジュアル設計に関わっています。
元々、自分はポリゴン・ピクチュアズの『亜人』という作品で3Dのノウハウを徹底的に教えてもらったんです。その後、東映に行って『正解するカド』という作品をやりました。その『正解するカド』 の少し前に実は『ドラゴンボール』に関わっているんです。その時は『ドラゴンボール』をどんな絵にするかというビジュアル面で、2D と 3D 両方の視点がわかる人として意見をして、「どうしたらいいか一緒に考えましょう」とやりました。その後のストーリーや見せ方には一切関わっていませんし、作画にも関わっていません。だから、初期のビジュアル設計に関わった人としてスペシャルサンクスとして載っているんです。
Q. ありがとうございます。
りょーちも. あれは ECHOES の児玉徹郎さんがビジュアルを作っていく時に、要の人でした。だからそのまま監督をやられていて、あの人がやって良かったと思っています。
東映ではできない映像の作り方ができました。あの人は 3D の個人作家なんですが、そんな個人作家があの商業作品を作ったんです。個人作家がものを作っていくのが一番重要なんだというのを証明している一人なんですね。そういう風になっていかないといけなかったんだというのを改めて気づいているのが現状です。
自分にとって今、個人作家が一番面白いんですよ。もうアニメーターにはあまり興味がないんです。そっちの方に向いちゃっていますが。
Q. ちもさんはいろんなソフトを使っていますよね。Flash(現在の Animate )はもちろん、Blender も使っています。Blender は特殊ではないんですか?
りょーちも. Blender は 3D の仕事をやっていた時に、「3Dのデータを開けてメモが書けるソフトないかな」と探していた時に見つけたソフトでした。
Mayaを持たないといけなかった時に、個人だと Maya のライセンス料が高すぎて買えなかったんです。ただ、プロジェクトは全部 Maya で管理されているから、データをFBXで書き出してくれて、それを管理できるソフトがないかを調べて Blender にたどり着いたんです。最初はただのツールとして利用できるかと思って使ったんですが、Blender の「グリースペンシル」という機能に目をつけました。グリースペンシル機能は最初、ただのメモ書きでした。「メモ書きが出来れば Flash と同じじゃん」と思って当初は使っていたんです。
そうしたら、途中のバージョンで筆圧感知で濃淡表現ができるようになったんですよ。ベクター系のソフトで筆圧感知で濃淡を出せるソフトは Mischief と Blender の2つしかなく、他のソフトはできないんです。
Flash にも筆圧感知機能で濃淡表現を新しく開発してほしいと何回も思っていて、Adobe のフォーラムで、日本に担当者が来てくれた時にそれを伝えても、相手にしてもらえなかったんです。Flash 6 のときからずっと願っていたのにいつまでたってもやってくれなかった機能を Blender があっという間にやってしまったんですよ。
Q. だから Flash から Blender になったんですね。
りょーちも. その時点で自分はAnimate に「さよなら」をして Blender に代わりました。Blender は 3D のムービー制作ソフトですが、自分は 3D というガイドが使える 2D のアニメーションソフトだという発想で使っています。ベクター系ソフトで3Dも管理できてカメラワークも付けられますからね。
そこがポイントでメインのソフトを切り替えました。
Q. 磯さん(注15)も、ちもさんのおかげで Blender マニアになったと聞きました。そう聞いたんですが、本当ですか?
りょーちも. そこに関しては磯さんに聞いたら怒ると思います。(笑)
Q. 今回はアーチという会社を経由して呼ばれているんですね。アーチを紹介していただけますか。
りょーちも. アーチは、平澤直さんという方が社長の会社です。
あそこも面白いんですよ。
アーチは日本の他のアニメ制作会社と同じ走り方を絶対したがらない会社なんです。日本ではなく、海外の、例えばドバイの人たちと仕事をして、そういう人たちからちゃんとお金をとってアニメーションを作るという方法で外貨を使うんですね。それに、各アニメーターに対してちゃんとお金を払うんです。
クライアントには「アニメーターたちには高給取りになってもらいたいから、そのためには元値としてこんな額が必要なんだ。払ってくれ」と提示して、「わかりました。払います」と言ってくれるところとアニメを作っているという組織なんです。
「そういうロックな人たちがいっぱいいて、それが自分は好きなんです」
Q. では、本日は本当にありがとうございます。
りょーちも. いえいえ。
Q. 本当にすごく面白いインタビューでした。たぶん今までで一番面白いです。沓名さんにも勝ちましたかもしれない。(笑)
りょーちも. 驚いた。それは驚いた。ありがとうございます。
本当に沓名さんが時代を作ったんです。彼がそのウェブ系を作ったのもそうですが、アニメ業界を本当にもう一回、根本的に考え直そうという動きを作ったのは彼なんです。オサムさんはそれが気に入ってるから沓名さんのことが大好きなんですね。沓名さんの存在は本当に大きく、彼が来たことでアニメの世界はガラッと変わったところがあります。彼に感化されて一番影響を受けてるのが山下清悟さんです。だからウェブ系という構造を作ったのはあの二人なんですよ。それに、ウェブ系というものは二人が作ったただの派閥ではなく、アニメ業界をガラッと変えたんです。
だから今のアニメの構造にはあの二人が骨子に入っています。それを今もなおやり続けているんですね。自分は、本当は「その中の一人です」「3人のうちの一人です」と言われたら嬉しいですが、自分はそれは言えないです。認められないですし、彼らのようにはなれないんですよ。彼らのような実力もないし、彼らのような表現方法は自分は持ち合わせていません。
Q. それは、ちもさんが決めることじゃないですよ。
りょーちも. まあ、分かんないですね。自分には無理です。彼らのようにはなれないですね。
Q. そんなことないと思いますよ。とりあえず、小林治さんについては良い思い出があるんですね。
りょーちも. はい。
Q. 本当に、あの人は最高でしたね。
りょーちも. あの人は本当に。
Q. 彼はおそらく、作画の評論家だったんでしょうね。小林さんの弟子といえば沓名さんかもしれないですが、おそらくアーティストとしてはちもさんの方が小林さんの弟子だと思います。
りょーちも. そうかもしれないですね。(笑)
Q. まだロックンロールですよ。沓名さんは……。
りょーちも. 本当の意味でアニメーションを繋いでいるのは沓名さんです。
おそらく、彼はオサムさんとしてのアニメーションを繋いでいるわけではないんですよ。オサムさんはアニメを外に繋いだんです。沓名さんは外からアニメを繋いでいるんです。
自分は中に入らず外で暴れてるんです。だから、それぞれ戦っているフィールドは違います。ですが、それぞれロックなんですよ。だから、沓名さんはすごい。小林治さんも同じくロックで、あの人もすごい。
そういうロックな人たちがいっぱいいて、それが自分は好きなんです。だからアニメ業界なんていうのは、くそくらえなんですよ。そんなの知らない。どうだっていい。
Q. このインタビューの終わりは完璧です。
りょーちも. あははははははは。
脚注
- 入江泰浩(いりえ・やすひろ、1971年生)。 アニメーター、監督。 スタジオ ボーンズに近いアーティストであり、設立以来スタジオの多くの作品に協力し、『鋼の錬金術師 ブラザーフッド』では監督を務めました。 フリーで絵コンテや監督として活動するほか、日本アニメーションクリエイター協会(JAniCA)の会長も務めている。
- 高津幸央(たかつ・ゆきお、1971年生)。 アニメーター、監督。 『NARUTO -ナルト- 疾風伝』、『物語』シリーズ、『三月のライオン』のオープニングとエンディングを演出したアニメーター。 フランスに移って以来、彼は Fullfrontal.moe のチームの仲間です。
- ビル・プリンプトン(1946-)。 監督。 荒々しい線画と毒舌映画で有名なアメリカの監督。 彼の有名な作品には、短編シリーズ『Guard Dog 』、『Eat』などがあります。
- 小林治(こばやし・おさむ、1964-2021)。 監督、デザイナー。 2000 年代の日本アニメーションで最も独立したクリエイターの 1 人であり、Studio 4°C とのコラボレーションや、『Beck』や『Paradise Kiss』などのシリーズの監督で有名です。 ウェブ系のアーティストをスカウトした人物です。
- 沓名健一(くつな・けんいち、1983年生)。 アニメーター。2000 年代後半から 2010 年代にかけて活躍したアクション アニメーターの 1 人である。最近では『ヴラド・ラブ』、『マジカル・デストロイヤーズ』、『火狩りの王』などのオープニングの演出。 「作品の評論家」の異名を持ち、日本で最も作画に造詣が深い人物の一人としても知られる。
- 松本憲生。 アニメーター。アニメ史上最も影響力のあるアーティストの一人。1990年代後半から2000年代前半にかけて、デフォルメ、流動性、現実の武術技法からの着想を重視したアクション作画を変えました。特に『NARUTO-ナルト-』シリーズの作画で有名。
- うつのみやさとる (1959年生)。アニメーター。アニメの歴史の中で最も重要なアニメーターの 1 人であり、特に 1989 年の『ご先祖様万々歳』のキャラクター デザイナーおよび作画監督としての仕事で有名です。彼は、動きを解放し、形状を変形し、実際の動きの再現や参照の使用から離れることで、リアル系作画に革命をもたらしました。
- 『鉄腕バーディー DECODE』。 2008-2009 TVシリーズ、A-1 Pictures、赤根和樹監督。ゆうきまさみによる SF アクション漫画のアニメ化。ウェブ系の代表作として思われています。 特にシーズン2の第7話と第12話は画期的とされているが、当時は特に物議を醸した。 第 7 話は、アニメーションに対する苦情のため、DVD リリースに合わせて大幅に描き直されました。
- 富野由悠季(とみの・よしゆき、1941年生)。 監督。 アニメ史上最も重要な監督の一人。 『鉄腕アトム』でキャリアをスタートさせた彼は、『ガンダム』シリーズの生みの親、そして日本を代表するSFクリエイターの一人として最も有名です。 近年は『ガンダム Gのレコンギスタ』で多忙を極めており、その後引退するのではないかと言われている。
- 山下清悟(やました・しんご、1987年生)。 アニメーター。 2000 年代から 2010 年代を代表するアクション アニメーターであり、最近では、『王様ランキング』、『チェンソーマン』、『呪術廻戦』などのシリーズのオープニングで有名になりました。
- 二保智之(にほ・ともゆき)。 アニメーター。 『ピンポン』や『ルー』で湯浅政明とよく仕事をしたウェブ系に近いアクションアニメーター。
- ダフトパンク。 元々は Darlin’ という名前だったこのフランスの有名なエレクトロニック ミュージック デュオは、批評家が彼らの音楽を「くだらない ダフト・パンクっぽいゴミ」と呼んだことから、ダフト パンクに改名しました。
- 竹内孝次。 プロデューサー。 テレコム・アニメーション・フィルムの元社長で、1990年代後半のアニメの仕上げをデジタルへの移行に尽力したベテランプロデューサー。 近年では、東京アニメアワードフェスティバルの会長を務め、複数のアニメーター育成プロジェクトを監督しています。
- 稲村武志(いなむら・たけし、1969年生)。 スタジオジブリ出身のアニメーターで、その後スタジオポノックに移籍。 主に『ゲド戦記』『コクリコ坂から』『メアリと魔女の花』の作画監督を務める。
- 磯光雄 (1966-). アニメーター、監督。近年のアニメ史において最も重要なアニメーターの一人である。驚くほどリアルな作画でリアル系の中心的存在であった。その後、『電脳コイル』『地球外少年少女』のSFシリーズで監督を務める。
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『イデオン』はエゴの死 ー 新潟国際アニメーション映画祭』で富野由悠季のインタビュー
富野由悠季は、疑いなくアニメ史上最も有名で重要な監督の一人。『ガンダム』の生みの親であるだけでなく、ロボットアニメとSF全般に影響を与えた作品を残した、非常に多作なクリエイター。 このような伝説の人物に会う機会があったのは、第2回新潟国際アニメーション映画祭のときだった。富野監督はエネルギッシュで親切で、海外の人と自分の作品や映画への愛について喜んで語った。 聞き手: ジョワイエ・ルド、ワツキ・マテオ 協力: ワツキ・マテオ 編集協力:...
映画祭は出会いと発見 -新潟国際アニメーション映画祭ジェネラルプロデューサー真木太郎インタビュー
株式会社ジェンコの代表取締役として、真木太郎はアニメ業界大事な人物である。彼のキャリアでは、プロデューサーとして押井守(『機動警察パトレイバー the Movie』)、今敏(『千年女優』)、片渕須直(『この世界の片隅に』)などの日本のアニメを代表する作家を支えた。 2022年から、真木とジェンコは別の方法で日本や世界のアニメーションを応援する。それは新潟国際アニメーション映画祭です。第2回では、そのメインスポンサーとジェネラルプロデューサーの真木太郎と映画祭と日本と海外のビジシネス関係について語る機会ができました。 聞き手:...
「アートからエンタメまで全部取り込むのが新潟です」- 新潟国際アニメーション映画祭プログラムディレクター・数土直志インタビュー
第2新潟国際アニメーション映画祭は、出会いと再会に溢れた。その中には数土直志さんだ。ビジネスサイトの「アニメーションビジネス」の創設者とライターとして、数土さんは日本のアニメジャーナリズムのキーパーソンである。昨年から、数土義さんは潟国際アニメーション映画祭のプログラムディレクターを努めている。それは、映画祭の方向性や上映されるざまざまの作品を決める役割だ。 数土さんの話を伺ったときは、アニメ業界のこれからとグローバル化を触れて、そして新潟映画祭がこうした発展の中でどのような位置にあるのかについて話し合いました。 聞き手:...
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