〜「リアル系」アニメーターの系譜、そして『電脳コイル』から『地球外少年少女へ〜 fullfrontal.moeでは『地球外少年少女』でメインアニメーターを務めた井上俊之氏にメールインタビューを行った。磯監督との関係や『電脳コイル』のこと、多くの「リアル系」アニメーターの話にまで話題は広がった。以下、井上氏とのインタビューをお届けする。

オリジナル(英語版):https://fullfrontal.moe/toshiyuki-inoue-interview/

ワツキ ・マッテオ

セラキ・ディミトリ

翻訳(フランス語ー日本語):ルノ・ファブリス

日本語版の編者: 飯嶋徹

このインタビューは、全文を無料でご覧いただけます。なお、このような記事を今後も出版できるように、ご支援をお願い申し上げます。

問1: 今回のインタビューでは、井上俊之さんと磯光雄監督との関係をお伺いしたいと思います。 もともと、磯監督が がアニメーターとして注目されたのは『機動戦士ガンダム 0080ポケットの中の戦争』*注1 からだったと思います。特にメカとエフェクトのシーンですね。 当時にこの作品をご覧になりましたか?この作品で磯監督の存在を初めて知ったのでしょうか?(ご覧になっていたら)どんな 印象をお受けになりましたか?

井上: 『ポケットの中の戦争』は当時、うつのみやさとる *注2 の家で見ました。彼から電話があって『御先祖様万々歳!』*注3(の1話の「白箱」*注4 )を見せてくれると言うので、真夜中に彼の家に行きました。その時ついでに『ポケットの中の戦争』の冒頭(磯パート)を見せてくれました。うつのみやも「すごい新人が出てきた」と悔しそうに言ってましたね(彼はとてもライバル意識が強いのです)

おそらく、うつのみやは『御先祖様万々歳!』4話に参加予定だった磯くんの力を知るためにそれを見たのだろうと思います。

問2 なかむらたかし *注5 さん、うつのみやさとるさんと共に、井上さんは宮崎駿さん、大塚康生さんやテレコム・アニメーションフィルム *注5 のアニメーターから強く影響を受けたと思います。磯監督も受けたと思いますか?井上さんと磯監督のアニメーターとしてのスタイルを比べるとどのような違いを感じますか?

井上: 磯くんが中村さん、宮崎さん、大塚さん、テレコムの影響を受けているかについてははっきりとは分かりませんが、我々の世代でそれらの影響を受けないというのは考えにくいことです。実際、彼の描く水(海などの水面)の作画(『ファイナルファンタジー』1話、『ジョジョの奇妙な冒険』6話など)ははっきり東映長編(『どうぶつ宝島』など)の影響があると思います。

彼が稲野義信 *注6 さんと秋野洋一さん(のちに2人が同一人物だと知ったそうです)が好きだったと言うのを何度も聞きました。稲野さんは1970〜80年代にとてもリアルな作画をした人でした。ただ稲野さんの作画は「絵はリアル」だったが、「動き」において磯くんを触発するほど革新的ではなかった。おそらく磯くんは「稲野さんのリアルな絵」に相応しい「リアルな動き」を目指すことで彼なりの作画を獲得したのではないかと推測しています。

私と彼の作画は全く違います。私の作画は私が影響を受けたアニメの作画を「きちんと」「丁寧」にしただけもので、とても「保守的」です。私の新人時代は(現在も同じかもしれませんが)アニメーターはすでに出来上がった「アニメ作画の描き方」を習って覚えることが普通でした。磯くんはそれに飽き足らず動きの本質を求めて実際の人間や自然現象を観察することを始め、それをアニメの作画に取り込むことに成功しました。

問3 『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』と『御先祖様万々歳!』の後、磯監督は大平晋也 *注7 さんと一緒にいくつかのプロジェクトに参加しました。その理由は?彼らのスタイルは似てるから、それとも特別な親和性を持っているから?井上さんはお二人と同じ作品に参加された経験をお持ちですが、どう思われますか?

井上: おそらく「御先祖様万々歳」の時「同世代」ということで共鳴、共感したのでしょう。実際にはその後、反発し合うことが多かったようですが、それはお互い強い「ライバル意識」があったはずで当然とも思います。彼らのスタイルは「御先祖様万々歳」を共に経験したことで、その直後の「THE八犬伝」 *注8 1話の時は似ていましたが、その後はかなり歩む道は違います。大平くんの作画はその初期においては磯くんの影響大きいと思います。そのことを大平くん本人に質問したら強く否定しましたが、私はそれを信じていません。おそらくその強いライバル心が逆のことをを言わせたのだと思っています(苦笑)

問4 井上さんは磯監督と共に押井守監督作品に参加されました。『機動警察パトレイバー』と『攻殻機動隊』には、「リアル系」アニメーターのグループが参加されたと考えています。 当時の雰囲気について教えてください。

井上: 当時、私の同世代の「リアル系」も年齢的に30歳前後になり、経験を積んで充実し始めた時期で、描きたいものがある程度自在に描けるようにはなっていました。しかしまだ磯くん、田辺修 *注9 くん、大平くんなどの革新的作画スタイルを学べておらず、70〜80年代のアニメ作画を緻密にしただけで保守的なものだったと思います。ただ、それ以前では表現できなかったものが高いレベルで表現できるようになった実感もあり、そのことで優れた監督(押井さん大友さんなど)に貢献できていることが嬉しくもありました。

問5 その時代から、セル画からデジタルへの変更が始まったと思います。この変化をどのように体験しましたか?

井上: 日本において「デジタル化」は長い間主に仕上げ(彩色)、撮影部門に限られ、作画部門では近年になってやっとデジタル化が進み始めている状況です。そういう訳なので当時は我々の作業に変化はほとんどなく、撮影におけるセル画時代の不自由さが多少緩和されて便利になった程度のものでした。

問6『電脳コイル』では井上さんは総作画監督を担当されました。この作品への参加について教えてください。井上さんはどの段階で参加されたのでしょうか?

井上: 私の肩書きは「総作画監督」となっていますが、通常の総作監の仕事とはやや違いました。

通常の総作監の仕事はシリーズ全体のキャラクター統一のために全話のレイアウト(のラフ原画)の修正することですが、「コイル」での私の仕事はレイアウト修正は一部の話数にとどめ、その代わり可能な限り多くの話数で作画監督をやり、原画を描くことでした。さらに各話で発生する(監督指示による)作画リテークに対応することも私の仕事でした。

「コイル」は1話から順番に作らず、最初に作ったのは2話でした。2話の時、私は「パプリカ」に参加中で2週間ほど「パプリカ」を中断して2話の手伝いをしました。その後「パプリカ」を終えて本格的に「コイル」に参加しました。その時は1話〜10話が同時進行で作業中で、(10話はガイナックスが担当)私はとりあえず5話に参加し、その後に4話、9話などに参加したと記憶しています。このように制作はかなり変則的に進んでいました。私が参加した後しばらくして残念なことに本田雄 *注11 くんは磯監督と決裂して去りました。制作後半は本田くん不在で乗り切らねばならずとても苦しい戦いになりました。そういうわけで私(と板津 *注12 くん)が総作監の代役となったのです。(クレジット上では本田くんがずっと総作画監督として表記されていましたが、実際の制作後半では不在だったのです)

問7『電脳コイル』の現場では、磯監督はどのような監督でしたか? 彼のアニメーターの訓練は、監督としてのスタイルに影響を与えたと思いますか? 制作の時の雰囲気はどうでしたか?

井上: 制作初期の話数では(1、3、4、8話など)自ら原画を修正していました(本田くんの修正したもの再修正したこともあった)が、途中からは絵コンテや音響作業のため忙しくなってそういうことはできなくなりました。それで途中からは各話の作画監督や総作監の私に対してレイアウトや原画の修正を言葉によって指示するようになりました。それは監督としては普通のやり方ですが、私としてはラフ修正でも良いからもっと多くの原画を磯くんに修正して欲しかった(宮崎駿さんのように!)。彼の天才性は他の誰にも真似ができないので、「言葉による指示」だけでは磯くんの望む動きや芝居にするのは難しいのです。

そういう意味ではご質問の「彼のアニメーターの訓練(←翻訳がうまくできていない気がしますが)」は「監督としてのスタイル」に強く影響はしていないと思います。そのことは「磯作画ファン」の私としてもやや残念に思っています。

問8 井上さんは沖浦啓之 *注13 監督ともご一緒にお仕事をされました。 彼の映画製作へのアプローチは、磯監督と比べるとどういうふうに違いますか?

井上: 沖浦は私以上に保守的なアニメーターで、革新的な表現をあまり好まないです。監督としてはレイアウト、作画に対して「高い精度」で「ウソのない正しさ」を求めます。彼の監督作(や作画監督作)では「丁寧な」仕事をすることが最上のことになってしまうと感じます。でも、丁寧な作画はもちろん大事ですが、それは「最上」のことではないと思います。それに対して磯くんは作画やデッサンに高い精度を求めないし、それどころか彼の求める表現を実現するためにはむしろたくさんウソをつきます。彼にとって「正しく」あることは二の次と考えているようです。それは私も同感です。

問10『電脳コイル』は非常に野心的な作品だと思います。アニメーターでは、ベテランや才能のある新人も同時参加されました。 このように若手とベテランが同時に参加するような作品は、現在の状況でもまだ制作できると思いますでしょうか?

井上: 近年アニメの制作本数は減るどころか、むしろ増えているとさえ思います。そういうわけで「コイル」の時のようにベテランと優秀な若手が一緒に参加することは難しくなったと思います。でも最近、とても才能ある若手が多くなってきた印象がありますので、「ベテランと一緒に」ということは必要なくなって、「若手だけで」十分素晴らしい作品が作られる予感があります。すでにそういう状態かもしれない。

ただ今になって思うのは、「コイル」の若手(押山 *注14 、板津、本間 *注15 くんなど)は最近の若手と比較して、仕事が早くメンタル的にもタフで強かったということです。制作後半の厳しい状況においても心配の必要が全くなかった。彼らのおかげでなんとか乗り越えられたと感じます。

問11 磯監督はもう10年以上前から『地球外少年少女』に取り組まれました。このプロジェクトを最初に聞いたのはいつですか?どの段階から参加されましたか?可能なら、井上さんと本作の関係と、どのように参加されたのかを詳しく教えてください。

井上: 「地球外少年少女」を最初に聞いたのは2年ほど前でしょうか(詳しくは忘れてしまいましたが)

シナリオが完成する頃だったと思います。私が参加したのはまだ宮崎作品に参加中の2020年12月に1話の原画を3カット描きました。その後2021になって本格的に「地球外〜」に移行して、2021年9月まで「地球外〜」をやりました。それでまたジブリに戻って、いまもまだ作業中です。先のメールで言いましたがそれも2月には終わります。

問12『地球外少年少女』のキャラクターデザインは吉田健一 *注16 さんが担当されました。吉田健一さんのデザインを象徴するものは何だと思いますか? アニメーターとしてどう思いますか? 吉田健一さんのキャラクターをアニメ化するのはどのように感じますでしょうか?

井上: おそらく吉田くんは1970年代の安彦良和さん *注17 や杉野昭夫 *注18 さんなどのようにアニメーターでありながら同時に個性的な「絵描き」でもあった人になろうとしているのだと私は考えています。我々の世代がアニメーターになった1980年頃から2000年頃にかけて日本のアニメは技術的に進化したと思いますが、その過程で70年代の「個性的で素晴らしい」が「アニメーションにあまり適さない」スタイルの絵柄が衰退していったと感じます。おそらく吉田くんも同様に感じて、『エウレカセブン』や『Gのレコンギスタ』で個性的な絵柄に挑戦したと思っています。そういう意味で彼のキャラデザインはアニメで動かすにはやや難しい面もあります。(『地球外少年少女』ではその傾向は抑えられていますが)

問13 この質問はちょっと聞きにくいですが、宮崎駿の新しいアニメについては多くの噂があります。可能であれば、このアニメについて、井上さんのお仕事について何か教えていただくことは可能ですか?

宮崎監督作では私は原画を描いています。

未上がりの原画は残り少しで大半が私の担当です。(途中「地球外少年少女」のためジブリから抜けたので遅れているのです)私が終われば原画はほぼ全て終わることになるでしょう。

ご存知かもしれませんが作画監督は本田雄さんで、素晴らしい仕事をしています。

ジブリ作画と本田くんの持ち味が良いバランスで融合していて、私も完成が待ち遠しいです。

井上: 先の返信の中の下記の文にある「白箱」について、アニメ『SHIROBAKO』で知っていると思い特に説明しませんでしたが「ポケットの中の戦争」は当時、うつのみやさとるの家で見ました。彼から電話があって「御先祖様万々歳」(の1話の「白箱」)を見せてくれると言うので、真夜中に彼の家に行きました。

念のため説明しておきます。

「白箱」(shirobako)とは作品完成直後、上映や放映前にスタッフに配られる「白いケース(箱)」に入ったビデオのことです。現在ビデオではなくDVD(やブルーレイ)になり、もう「白い箱」に入っていないのですがまだ「白箱」と呼ばれています。

問14 先に『ファイナルファンタジー』に参加されたとお答え頂きました。 これは1994年のOVAでしょうか? 磯監督はエピソード1に参加したとおっしゃっていますが、私が知る限り、磯監督がエピソード2で贄田秀雄として参加したと思います。エピソード2のシーンはこちらでしょうか?

別のシーンなら、磯監督がエピソード1でも参加したという事実は(今まで語られていない)私たちもビックリするニュースです。

井上: 1994年のOVAです。磯くんの参加は2話が正しいです(私は2話以外観ていないのかもしれない、、)彼が作画したのは送って頂いたURLで合っていると思いますが、それ以前の主人公の少年がバイクで駆けつけるところ辺りからずっと彼が作画していると思います。ご存知かもしれないですが、磯くんはこの時中国のスタジオに出向して作業したと聞きました。そして彼が描いたのはラフ原画(第一原画)で第2原画はその中国のスタジオのスタッフにやらせたのでしょう。そういう事情で彼の担当カット数がいつになく多いのだと思います。一見すると彼の原画ではないのではと感じるカットがあるのも同じ理由からだと思います。でも私はこの作品での彼の仕事は素晴らしいと思うし好きです。

問15 問7の質問の翻訳が上手くできなくて本当に申し訳ありません。 聞きたかったのは、磯監督が元々アニメーターだったので(監督としての演出方法に)特定の方法を持つかどうかです。 たとえば、彼は自分のプロジェクトについてアニメーターの意見を聞くとか、それとも他の監督に比べて特別な要求があるかどうかを教えてください。

井上: もちろん彼はアニメーターですので、下手な原画や彼の意図通りでない原画の修正を自ら行うことができました。そういう意味で「特定の方法」を持っていました。でもそれは(すでに送った答えの中でも書きましたが)初期話数に限られました。私としては全ての話数で彼にそれをやってほしかった(宮崎さんのように)。彼は天才的なアニメーターですので、動きに対する要求は非常に具体的で独特なことも多くありましたが、残念なことに普通のアニメーターには描くことが難しかった(私にとっても)。

問16 お伺いしづらい質問ですが(『電脳コイル』において)磯監督と本田さんの仲違いについてお教えください。 本田さんが磯さんと二度と一緒に仕事をしたくないと言っていたそうですが、仕事の面ではなく、個人的に二人はまだ仲がいいでしょうか?

井上: 本田くんが「最近は磯さんと普通に会話できますよ」と言ってましたので、個人的にはもう争ってはいないようです(「仲が良い」とまでは言えないかもしれませんね)。

注1: 『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』

1989年に発売された『機動戦士ガンダム』シリーズ初のOVA作品。

監督高山文彦、キャラクターデザイン美樹本晴彦

富野由悠季以外が監督を務めた初めての「ガンダム」でもある。

注2: うつのみやさとる (1959-)

フリーランスアニメーター。『アキラ』以降「リアル系」アニメーターグループのリーダー格とみなされた。自由で印象的な作画で知られる。

注3: 『ご先祖様万々歳!』

スタジオぴえろ制作、押井守監督による1989年のOVA作品。『アキラ』以降の最初の「リアル作画」の記念碑的作品とされる。

注4: 『SHIROBAKO』(シロバコ)

2014年から2015年にかけて放映された、P.A.WORKS制作、水島努監督による、日本のオリジナルテレビアニメ作品。

舞台はアニメーション制作の現場である。

注5: なかむらたかし (1955-)

アニメーター。元タツノコプロ。『幻魔大戦』『風の谷のナウシカ』『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』『黄金戦士ゴールドライタン』『AKIRA』などの作品にアニメーターとして参加し、「リアル系」アニメーターグループの一員として80年代アニメで広く活躍した。

監督作に『パルムの樹』(2002)など。

注6: テレコムアニメーションフィルム

1977年に創業されたアニメーション制作会社。東京ムービー新社(当時、現在トムス・エンタテインメント)の子会社。長らく大塚康生の所属先であり、伝説的なアニメーターの多くを輩出した。

注7: 稲野義信 (1953-)

アニメーター。スタジオバードでアニメーターをつとめる。その後A-1ピクチャーズ作品で活動。

富野由悠季監督、湖川友謙 作画監督作品への参加で有名。

のちに3DCGアニメへと進出した。

注8: 大平晋也 (1966-)

アニメーター、アニメーション監督。

当初はリアル志向のアニメーターであったぁ、監督作『夢枕獏 とわいらいと劇場 骨董屋』 (1991年)などの作品から実験的な作風で知られるようになった。

その後もジブリ作品、Production I.G.作品などに参加している。

注9: THE八犬伝

1990年から1991年にかけて発売された、AIC制作によるOVA作品。

『アキラ』以降の「リアル系」アニメーターの多くが参加した。大平晋也、なかむらたかし、磯光雄、沖浦啓之、田辺修など。

注10: 田辺修 (1965-)

アニメーター。オープロダクション、スタジオジブリに所属した。

90年代後半から「高畑勲の右腕」として知られた。「リアル系」アニメーターグループの一員でもあった。

注11: 本田雄 (1968-)

スタジオカラー所属のアニメーター。師匠というニックネームで知られる。ガイナックスでの活動後、「リアル系」アニメーターとして多くの作品に参加した。

『エヴァンゲリオン新劇場版』シリーズ以降、エヴァ作品に再び関わる。現在、宮崎駿監督の新作を含め多くの作品に参加。

注12: 板津匡覧 (1980-)

アニメーター、アニメーション監督。スタジオぎゃろっぷの後、今敏監督作で有名となる。今敏監督の未完の企画『夢みる機械』でキャラクターデザインを行なった。2015年『ボールルームへようこそ』で初監督をつとめる。

注13: 沖浦啓之 (1966-)

アニメーター、アニメーション監督。スタジオRで活動後、『アキラ』に参加し「リアル系」アニメーターとして知られるようになる。

監督作に『人狼 JIN-ROH』『ももへの手紙』がある。

注14: 押山清高 (1982-)

アニメーター、アニメーション監督、デザイナー。スタジオドリアン代表取締役。ジーベックで活動後、『電脳コイル』で初作画監督。

『フリップフラッパーズ』でテレビシリーズ初監督。2021年放映予定の『チェンソーマン』でデーモンのデザインを手がける。

注15: 本間晃 (??ー)

マッドハウス出身のフリーアニメーター。『電脳コイル』へ作画監督、原画として参加。参加作品に『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』『ももへの手紙』『エヴァンゲリオン新劇場版Q』『君の名は。』など

注16: 吉田健一 (1969-)

アニメーター、キャラクターデザイナー。スタジオジブリの作品でアニメーターとして活動した後、キャラクターデザイナー、イラストレーターとしても活動。

『オーバーマンキングゲイナー』『Gのレコンギスタ』『エウレカセブン』などのキャラクターデザインを担当した。

注17: 安彦良和 (1947 — )

アニメーター、アニメーション監督、イラストレーター、漫画家、キャラクターデザイナー。『機動戦士ガンダム』のキャラクターデザイナーとして有名である。70年代にアニメーターとして活躍。当時、リアルなキャラクター描写を打ち立てた。2022年に監督作『機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島』の公開が控えている。

注18: 杉野昭夫 (1944 — )

アニメーター、キャラクターデザイナー。特に出崎統監督と組んだ『あしたのジョー』『エースをねらえ!』『家なき子』『宝島』の作品群で作画監督・キャラクターデザイナーとして有名。

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