キャリアの初期から「師匠」の異名を持つ本田雄は、アニメ界で最も優秀なアニメーターの一人である。アトリエ戯雅にデビューした後、1980年代と1990年代の大半をスタジオガイナックスで過ごし、『 トップをねらえ!』、『ふしぎの海のナディア』、『新世紀エヴァンゲリオン』などでガイナックスを代表する作品に携わった。退社後は、今 敏や押井守といった業界屈指の名匠たちの作品に手を掛けた。
宮崎駿監督の最新長編『君たちはどう生きるか』の作画監督を務めることが発表されて、本田氏の評判はさらに高まった。 本田氏のタッチは映画で強く感じられ、アニメーターの井上俊之氏と山下明彦氏とその制作について話し合ったとき、私たちはこのことについてもっと知りたいと強く思いました。
そして、フランスのアニメイベントで会う機会ができました。その楽しい1時間のインタビューで、『君たちはどう生きるか』、そして本田氏の芸術とキャリアについての洞察に満ちていました。
聞き手: ワツキ・マテオ、ジョワイエ・ルド
協力: バスティエ・アルノー、デ・ラ・クルス・ブルノー
日本語編集: いすづみ、ワツキ・マテオ
このインタビューは、全文を無料でご覧いただけます。なお、このような記事を今後も出版できるように、ご支援をお願い申し上げます。
「最初は度肝を抜かれました」
Q. 先月、黄瀬和哉さんと西尾鉄也さんの第212回アニメスタイルイベントの配信を見ました。そのイベントで本田さんが「湖川友謙先生(注1)と『イデオン』の話をしたい」と言っていましたね。僕もその話を聞きたいんですが、先に『君たちはどう生きるか』の話を聞かせてください。
本田. (笑) いえいえ。
Q. では、最初の質問です。井上俊之さん(注2)によると、夏子のキャラ表だけは宮﨑監督のラフを清書しておらず、自分で描かれたとのことですが、それはなぜでしょうか。
本田. そうです。夏子は宮﨑さんのラフが1点しかなかったんですね。それもかなりラフな感じで、ちゃんとしたものがなかったんです。
Q. へぇ。そうですか。
本田. その時はまだ着物の柄も決まっておらず、かなりぼんやりしていました。
Q. どうしてでしょうか。宮﨑監督にとって、夏子は特に作るのが難しいキャラクターだと思いますか。
本田. 元々、宮﨑さんは『失われたものたちの本』という本を参考にしていて、そこに夏子に当たる女性が出てくるんですね。僕も読みまして、その女性が割と精神不安定な感じで、ちょっときつめな印象を受けました。それで、僕の方で勝手にその本に出てくる女性をイメージして夏子の設定を描きました。
一応、それを描いたときは宮﨑さんの OK は取れたんです。
Q. やはり設定を見ると、完全に本田さんのキャラクターですね。映画を初めて見たとき、すごく『エヴァンゲリオン』っぽいと思いました。
本田.(笑)その夏子の設定を描いたときは宮﨑さんは「これで結構です」と言ってくれたんですが、本編でいろいろ手を入れ始めるんですよ。ジブリ、特に宮﨑作品では、設定はあくまでも色指定用で、色を決めるためのものなんですね。
Q. 最初は本田さんがデザインのラフをもとに設定を作って、原画や作監の仕事をするときにちょっとキャラクターを変えたということですね。
本田. 宮﨑さんの作品だと、設定は基本的に色を決めるための元の絵という要素が強くて、絵はレイアウトを描いていく中で、どんどん変わっていくことが多々あるんです。
冒頭の駅のシーンの眞人も、最初はこんなに髪が長くないんですよ。帽子を取ったときの長い毛を表現したくて、宮﨑さんが髪を伸ばしたんですね。そうすると、もう設定と違うんですよ。「え、この長さでいくの?」と初っ端から絵が変わってて、最初は度肝を抜かれました。だから、後から入ってくるスタッフに「ちょっと設定の絵と違うんですけど、それを考慮してお願いします」とわざわざいちいち言わないといけなかったんですよ。
Q. 絵が変わることについてですが、本田さんが描いた2つの夏子のシーンではそれぞれ絵柄が違うと思います。最初の駅のシーンは本田さんのいつものシャープな線でキャラ表通りですが、産屋のシーンは絵柄がそのシーンとは少し異なります。
本田. 冒頭のシーンから産屋のシーンまでやるのに、その間の期間が3年か4年くらい空いています。だからその間に絵が変わってしまうんです。
また、絵で美女を描くときに髪型を変えると、印象が全て変わってしまうんですよね。
冒頭のシーンでは髪をまとめていますが、産屋のシーンでは髪を全部おろしています。だから印象が変わって、どうしてもそれは元の絵の印象には戻りません。宮﨑さんもそれは分かっていて、別にそれでも話の流れで分かるはずだと考えているんです。
Q. わかりました。でも絵コンテを見ると、宮﨑さんの絵も駅の夏子と産屋の夏子で全然違います。駅前のシーンでは曲線的で綺麗に見えますが、産屋のシーンではすごく激しくて怖い印象です。本田さんの絵は絵コンテともまた違います。そこが不思議だと思いました。絵コンテの絵は、夏子が人間に見えないくらい激しいです。
本田. うん。人間に見えない感じですね。
Q. 本田さんの絵はリアルすぎて怖いという感じがしました。黄瀬さんの『パトレイバー2』(注3)の影の付け方のようでした。
本田. ああ、それはあるかもしれません。
産屋のシーンの作業をやったのは終盤ですから、「もうどうでもいいや」という気持ちでした。このシーンは顔のアップが多いですが、アニメで顔の表情をアップで描くと、ディテールがあまりにも少なすぎて線を足さないと画面が持たないんです。そういう意味で影も少しリアルめにしないと、ディテールを増やせなかったんですね。結局、絵柄が全然変わってくるということになってしまうんですが、終盤まで来たら「もうどうでもいいや」と思ってきてしまうんですよ。
Q. その産屋のシーンは最初、本田さんの原画ではなかったそうですが、どういう経緯で本田さんが原画を担当することになったんですか。
本田. そうですね。当初は山森英司さんという方が原画を担当する予定でした。
Q. 少し失礼かもしれませんが、どうして描き直したんでしょうか。
本田. 元の絵もシーンの雰囲気に合っており怖い絵になっていました。ただ、怖さに加えて気持ち悪さが少し入っていたんです。母親が気持ち悪い雰囲気というのは、僕は許せないんですよね。どちらかというと鬼の形相に持っていかないとダメだろうと思ったんです。だから、そういう方向に直しました。
Q. 産屋のシーン以外には少し気持ち悪いシーンがあったと思います。例えば、歯が出るアオサギのシーンや、魚のシーンです。
本田. あの辺は面白くやれたんですよね。サギの最初の登場シーンの気持ち悪いところは、完全に狙って気持ち悪さを出しています。
あそこは濱田高行くんという、元テレコムの人です。スタジオ地図でよく仕事をしていた人で、『サマーウォーズ』の親戚一同が集まって、食事をする俯瞰のシーンを担当しています。あそこは濱田くん、めちゃくちゃすごい作画をしていますよ。
「宮﨑さんはかっちりした絵があまり好きではないんです」
Q. 最初は多くのスタッフがバラバラのスタジオから来ていたんですね。例えば、本田さんはカラーから来ていましたし、濱田さんも別のスタジオでした。
本田. そうですね。今はもう、濱田くんも井上さんもジブリの社員です。
Q. 本田さんもそうですよね。
本田. ええ。そうですね。
Q. 本田さんとジブリのアニメーターたちのアプローチは、やはり違いましたか。宮﨑さんとジブリのアニメーターの方は、感覚で描くそうですが。
本田. 感覚で描くとは言っても、多少の決め事はあるはずです。ただ、宮﨑さんはかっちりした絵があまり好きではないんですよ。レイアウトで消失点をはっきり分かるように描いて、パースを書くと、宮﨑さんは激怒するんですよね。「そんなものを描くと、ちゃちい絵にしかならない」と言うんです。かといって、奥から手前、手前から奥に上がってくるような、移動するキャラを描くときは、パースが絶対必要なんですね。だから、自分なりにこっそり、かっちりした絵を入れる決め事を作っているはずです。
宮﨑さんには、あえてちょっと崩した感じの、フレキシブルな感じのレイアウトを出すと、宮﨑さんの受けがいいです。
Q. 本田さんはもっとロジカルなタイプですよね。
本田. 自分ではそうだとは思っていないんですが、そうなんですかね。
Q. 例えば、井上さんと比べるとどうでしょうか。
本田. 井上さんはもう、別格ですからね。日本一のアニメーターですからね。
Q. アプローチや描き方の違いで、ジブリのアニメーターたちとのやり取りの中で大変なところはありましたか?
本田. そうですね。近藤勝也さん(注4)は、すごく上手くて早いので、助かっていますね。田中敦子さん(注5)や稲村武志さんもすごく良かったです。やはりジブリの人は上手いなという印象がありますね。
Q. 田中さんのお名前が出てきたので質問ですが、パンを食べるシーンを描いたのは田中さんですか?
本田. そのシーンは、実は山下明彦さん(注6)なんです。
Q. えー、そうですか。
本田. 何人か変わっています。最初は浜洲英喜さんという方がやっていて、それから宮﨑さんがラフを全部描き直して、その後に山下さんが描いているんですね。
Q. そのシーンの、楽しくて、いそいそとしている感じはやはり宮﨑さんっぽいですね。
本田. そうですね。ここは宮﨑さん、こだわっています。山下さんにやってもらったものも、気に入らなくて、全部描き直していました。「結局、俺が清書するんかい」という感じでした(笑)。
Q. 宮﨑さんは、よく描き直しや修正をしましたか?
本田. 最初の頃は、全修したカットもありました。その後、後半のインコの大群を描いているあたりは、もう完全にスルーでしたね。井上さんのカットは、ほとんど手が入っていません。僕も手を入れようがないぐらいで、一番この絵にしたかったみたいな感じでしたから。
Q. さすが井上さんです。
『THE ART OF 君たちはどう生きるか』という本には、宮﨑監督が描いたレイアウトが載っていますね。例えば、p.89 の怪我をした眞人が寝室の窓を閉めるのを夏子が手伝うカットで、眞人の寝室の外装を描いたレイアウトですが、描いたのは「【宮﨑駿】」と書いてありますが。
本田. これは多分、山下さんの下描きがあって、それを元に宮﨑さんが描いているんだと思います。
Q. では下描きを元に清書したものなんですね。
本田. どうでしょう。ここまで指示書きをするのは、山下さんのことが多いですね。眞人が初めて池の畔に歩いていくカットのレイアウトは、宮﨑さんが描いたレイアウトですね。やはりさきほどの寝室の窓のカットは、山下さんですね。宮﨑さんの字と違いました。
Q. たくさんレイアウトを描かれたようですが、宮﨑監督が最初から描いたものですか。それとも、アニメーターのラフの上から描かれたものですか。
本田. アニメーターの描いてきたレイアウトの上からディテールアップしていますね。
Q. 宮﨑さんはレイアウトだけでなく、眞人とヒミの再会シーンのラフ原画をやっていますね。
本田. この辺は宮﨑さんが最初から描いていました。
Q.「最初から」ということは、本田さんがお願いしたわけではないんですね。
本田. そうですね。最初から宮﨑さんがここを描いていました。原画は濱田さんですね。
Q. 本田さんは宮﨑監督の絵に修正を入れる勇気はありましたか。
本田. 最初は、直していいのか分からなかったです。与えられた役割が作画監督だったから、少し迷いながらも絵を直しはしましたが。後から聞いたんですが、基本的に宮﨑さんの絵を直してはダメという暗黙のルールのようなものがあるらしいんですね。それを最初に言ってくれればいいのにと思いました(笑)。
Q. 本田さんの絵の描き方の話に戻りたいんですが、絵のタイミングを決めるプロセスについて聞かせてください。
本田. 僕の場合は、タイミングよりも先に絵から入ります。まず動きをイメージして、必要な絵から埋めていくんですね。それは分かりやすいので。そこで大雑把な流れを作って、細かい動きはその絵と絵の間を縫って考えて描きます。
その後、最終的にタイミングはクイックアクションレコーダーに入れて調整するということですね。
Q. 山下さんと話したときに、大平さん(注7)はクイックアクションレコーダーを使っていないと聞きました。
本田. そうですね。あの人は多分自宅作業ですからね。使っていないかもしれないです。
Q. 自宅だからなんですか。山下さんが彼は天才だからと言っていましたが。(笑)
本田. 大平さんは結構なベテランですからね。
山下さんは、僕が最初にアトリエ戯雅という会社に入ったときに、少し凹まされた人です。
「年齢が2つぐらいしか違わないのに、こんなうまい人がいるんだ」って。僕の中では未だに山下さんには追いついていないです。
「やりにくいということは全然なかったです」
Q. アトリエ戯雅の話はまたこの後で聞かせてください。
『君たち』の話に戻りますが、『君たち』は宮﨑監督と本田さんのコラボなのに、絵にエロティシズムがあまり感じられないと思います。
本田. 僕の方では、あえて抑えていますね。エロティシズムを出すと、宮﨑さんに怒られるかもしれないので。宮﨑さんは、あんまりそういうのを好まないんですよ。
Q. 宮﨑監督にもエロティシズムはある気がします。
本田. 確かに、かつての宮﨑さんの作品では、女性をエロティックに描いていると思うんですよ。最近に至っては、宮﨑さんはそちらの方にもう興味がなくなってしまっているんですよね。
Q. しかし、この映画の大事なテーマにエディプスコンプレックスがありますよね。
本田. ああ、そうですね。テーマがエディプスコンプレックスだから、あえてエロティシズムを出してしまうと、まずい方向にいってしまうんですよね。産屋のシーンの風が舞うところで、夏子が「あなたなんか大キライ!」と喚くカットに、胸の谷間を出そうか、出すまいか、迷ったんですが、「きっとこれをやったら蛇足だな」と思ってやめました。
Q. 残念ですね〜(笑)。
本田. 和服だったら多分胸元がはだけます。ですが、それをやってしまうとやはりまずいかなと思って、僕の方でセーブはしました。(笑)
Q. (笑) 和服の話が出てきたので着物の話をさせてください。着物を描くのは『千年女優』(注8)の時に鍛えられたんじゃないでしょうか。
本田. 『千年女優』の時は、着物に挑戦したのがほぼ初めてでしたから。『千年女優』の和服の千代子のシーンは、あまり動いてないから、なんとかなりました。ただ、今回は結構動いているので大変でした。しかも、矢絣という、ちょっと複雑な形をした柄だったから、やはり苦心しましたね。
『千年女優』の時も、和服の柄が複雑な感じだったので、その時やった描き方を使いました。その時も、今回のように着物の展開図を作っているんです。これを作らないと、なんか描けないんですよね。
Q.『風立ちぬ』の時は、服が厚くて重そうに見えたんですが、今回は全く違うように思います。服をよりリアルに描いていて、シワの描き方を重視しています。
本田. 特に夏子の服は今までのジブリ作品のように描くと、ドテラを着ているような感じになってしまいます。それはさすがに色気も、素っ気もなさすぎるので、多少シワの入れ方をリアルにしました。ただ、婆さん連中は、いつもの感じでやっています。
Q. ああ、そうですね。以前の宮﨑監督の作品、特に『ハウル』では服が濡れたようにテカテカしたような感じです。しかし今回はそういう表現がありませんよね。
本田. ああ、そうですね。それは『ハウル』を僕がやってないからですね(笑)。その考えに及びもしなかったですね。
Q. 宮﨑監督と本田さんの間で表現方法について対立することがあったそうですが、それは具体的にどういったことですか?
本田. 対立はそんなにはしていないですね。
Q. 意見が食い違う時はあったんじゃないでしょうか。
本田. 宮﨑さんが違うといえば、それに合わせて調整はすると決めていたので、あまりそういうことはなかったです。
ただ一度、宮﨑さんに怒ったことはあります。宮﨑さんが直したいシーンは割と特定されていて、そこを直し始めると時間がかかるんですよ。そうすると、他のカットの上がりがどんなに酷くてもスルーしがちになるんです。「こっちの方が直さなきゃいけないんじゃないのかな」というのをスルーして、そのシーンを直すのに固執し始めるんですよね。それに対しては「それ直す前に、これはいいんかい(笑)」ということは、少し言ったことがありますね。
Q. すごいですね。(笑)やはり制作の 6、 7 年間で宮﨑監督との関係は変わりましたか?
本田. そうですね。だいぶ近くなったと思いますね。
Q. 自分のアイデアを宮﨑監督に出すことに対しては自信を持てるようになりましたか?
本田. とりあえず出さないとイエスかノーか得られないので、まず自分で考えて出してから、宮﨑さんの判断を仰ぐという形ですね。それで怒られるわけではないので。まずは思ったことを描いて出してみるという感じですかね。そんなにやりにくいということは全然なかったです。
Q. 激しく議論を交わすことはありましたか?
本田. あまり議論はしないですね。昔の押井さんや宮﨑さんは、よく議論をするタイプじゃないですか。だいたい最終的には喧嘩になってしまっています。
僕はそこまで理論武装もしてないので、そういうのはあえてしませんね。政治の話も絶対しません。
Q. 本田さんはもう6年ぐらい宮﨑監督の隣に座っていました。
これからは監督をやることはお考えですか。
本田. この先は分からないですが、監督業をやるとなると相当大変でしょうね。宮﨑さんの仕事を見ていると、本当に大変ですよ。「この年齢でよくそこまでパワフルにできるな」と見てて思っていました。絵コンテを描きながらレイアウトチェックもして、それでいて、色の設定もいちいちカットごとに決めているんですよね。そうやってあちこち動き回りながらも、自分の席ではちゃんとレイアウトや原画の修正作業もしているんです。
いや、大変ですよ。宮﨑さんのやり方は。
Q. 面白いですよね。
本田. 面白そうだけど、自分には宮﨑さんの真似はできないなとは思いましたね。
「『夢みる機械』は結構残念な流れにはなっています」
Q. 今は山下さん、井上さん、本田さんは、宮﨑監督の次の作品に参加していますよね。
デリケートな質問ですが、宮﨑監督はかなりお年を召していらっしゃるので、もし次の作品の制作時に体が弱くなって、監督の仕事ができなくなった場合はどうするんでしょうか。
本田. もし宮﨑さんが監督の仕事ができなくなって、本当に今回は引退するとなっても、スタジオジブリは別に止めないと思います。その次に、「じゃあ今のこの現場はどうしよう」という話し合いがあるはずです。多分、すぐに現場を潰すということはないと思います。
もしジブリがまた解散になったとしても、仕事には困りません。日本には制作会社がいっぱいありますし、僕もいろいろなところに伝手があります。だからジブリには最後まで付き合おうかなとは思っています。
Q.『夢みる機械』(注9)のような状態にはならないんですね。
本田. 『夢みる機械』は途中までしかコンテがなかったですからね。
マッドハウスの丸山さんは、今さんが亡くなった後もなんとか作り切ろうとはしたんです。
ただ、マッドハウスとの会社関係に色々ごたごたがあって難しかったんですよ。制作過程でもう、数億円は使ってしまっていたのかな。丸山さんが新しい MAPPAという会社をつくって、『夢みる機械』の制作を引き継ごうとした時に、マッドハウス側に「その作品には何億かの負債があるので、それを払ってからでないと許可できない」ということを言われたようです。マッドハウスも元々は丸山さんがつくった会社ですが。(笑) 丸山さんはマッドハウスの代表を降りて、MAPPAという別会社をつくって、そこで『夢みる機械』をやりたかったみたいですけどね。
ただ、今さんの脚本も半ば無かったみたいなんです。『夢みる機械』の制作の時に、今さんが突然現場に現れなくなってしまった時、当初は理由も何も教えてもらえなくて、丸山さんはすごく苛立っていたらしいんですよね。今さんが膵臓がんだったことは、プロデューサーと制作進行ぐらいしか当時知らなかったんだと思います。それで、丸山さんが本当に怒って、プロデューサーの家に「今はなんで来ないんだ!」という感じで行ったら、今さんが膵臓がんだったことを明かされたそうです。今さんは、その時にはすでに手遅れな状態だったらしいんですよね。だから、丸山さんは今さんの家に行って、そこでやせ細って起き上がれない今さんから、涙ながらに「すみません」みたいな感じで謝られたそうです。丸山さんも一応納得して、「じゃあ『夢みる機械』は任せてくれ」と言ったんですね。ただ、脚本が最後までなかったので、ボイスレコーダーで続きを教えてもらったそうです。それで撮ったボイスレコーダーの脚本はあったらしいですね。ただ、そのボイスレコーダーの音声も、監督を引き継いだ人が聞いたところ、途中でうめいている声が入っていて、聞いていて辛かったというのは聞きました。
ただ、今さんがいないと、制作は無理だったように思います。難しいんですよね。丸山さんはどうしても実現させてあげたかったみたいですが、マッドハウスがあの頃はもう日本テレビの子会社になっていたから、代表権がないので、丸山さんとしてはどうしようもなかったんでしょうね。『夢みる機械』は結構残念な流れにはなっています。
Q.『君たち』の話に戻ります。本田さんは、制作中に宮﨑監督から自分のことについて教えてもらい、家族の写真を見せてもらって、映画のテーマやメッセージについて説明してもらったとのことでした。
宮﨑監督からはちゃんと説明してもらったんですか。
本田. ちゃんと説明をしてもらったわけではなく、勝一の設定を作ってしばらく作業をした後に宮﨑さんが宮﨑さんの父親の写真を見せてくれました。「え、じゃあ先に見せてよ」と思いました。(笑)
Q. 似ていましたか?
本田. いやいや、雰囲気は全然似ていないですよ。
Q. 勝一の他にもキャラクターには実在モデルがいるそうですね。例えば、キリコは保田道世さん(注10)、青サギは鈴木プロデューサーだそうです。そのことは設定を作る前に言われましたか。
本田. 宮﨑さんはそういうことは絶対言わないですよ。ただ、キリコはヤッチンだというのはよく言っていましたね。ただ、保田さんもこんな顔しないですよ。
Q. 年をとったキリコと若いキリコ、どちらが保田さんに似ていますか。
本田. どちらも多分似てないんですよ。宮﨑さんの中にあるキャラクター像なんです。キリコに対しては「ヤッチンだ」みたいな言い方をしていました。僕は保田さんに会ったことがないので分かりませんが。
Q. 保田さんは、キリコという画家が好きといったお話はあったんですか。
本田. ん?キリコという画家?
Q. イタリア人画家のジョルジョ・デ・キリコです。
本田. え、どうなんだろう。それは分からないですね。
Q. この《時間の謎》を描いた人です。映画の大叔父のいる部屋のシーンと似てるんですよね。
本田. ははあ、似ていますね。宮﨑さん、絶対これを見ていると思います。でも宮﨑さんは元ネタなんて絶対言わないです。
Q. ベックリンの《死の島》も見せなかったんですか?
本田. それはコンテでワラワラの島のシーンが出てきた時にすぐ分かりましたよ。
Q. 説明はなかったんですか?
本田. チラッとは言っていましたが、それはさすがに有名ですよ。
Q. 宮﨑監督は全然説明してくれないんですね。
キリコは多分、『ボトムズ』の主人公キリコ・キュービィーから来ていると思っている人もいると思うんですが。
本田. (笑。 で、真剣な口調で) それはちょっと、今初めて聞いた話です。なんとも言えないですが、ひょっとしたらそうかもしれないですね。
Q. (笑) 影響を受けた小説もあると思います。江戸川乱歩の『幽霊塔』です。それについても説明はなかったんでしょうか。
本田. 説明は全然ないですね。仕事をしながら雑談として、「江戸川乱歩の『幽霊塔』は子供の頃好きだった」といった話はありました。
Q. 岩波書店から2015年に刊行された『幽霊塔』の表紙で宮﨑監督が描いたイラストのことは知っていますか。
本田. それは知っていますね。
Q. その塔が映画に出てくる塔に似ていると思います。
本田. そうですね。それに限らず、宮﨑さんはそういう塔を舞台にするのが好きなんだと思います。
Q. では、打ち合わせのときの宮﨑監督との会話は、アニメーションと演出の技術に関する話だけだったんですか。
本田. 技術的なことよりは、「こういう雰囲気のものだ」という、気持ち的なものの方が強いですね。宮﨑さんは「感覚的なものを感じ取ってください」という感じの打ち合わせをいつもしますね。
『君たち』ではないんですが、『パン種とタマゴ姫』の打ち合わせをしたときは、本当に擬音が多かったです。「ここはガガガガッと来て」と説明されて、「それで打ち合わせになるんだ」と思いました。
宮﨑さんの絵コンテは全部書いてあるから、打ち合わせでは雰囲気だけを伝えるというのが主だったですね。『君たち』の打ち合わせも、そういうのに近かったかもしれません。宮﨑さんはもちろん説明もしてくれるんですが、コンテにある程度書かれてるんですよね。ここまで書いてる人はあまりいません。
Q. 絵コンテと言うと、井上さんは「絵コンテでは芝居や動きに関してそんなに細かく描かれてない」と言っていました。本田さんはどう思いますか?構図やカメラワークはちゃんと描かれているんですが、細かい部分は自由に描かせるスタイルなんじゃないでしょうか。
本田. とりあえず、自由に描いてもらうというのが宮﨑さんのやり方ですね。それを全部描き直すこともあるんですが。
Q. 例えば、今 敏さんのコンテはそのままレイアウトとして使えるように描いていると思います。宮﨑監督のコンテは、自由とはいうものの、後で何回も描き直すということは、結局自由ではないのではないでしょうか。
本田. いや、本当に自由ですよ。
今さんは、『パーフェクトブルー』と『千年女優』で、自分でコンテを描いて、原画マンのレイアウトが来たら、また自分で全部直すという、手間がかかることに飽きてしまったようです。だから、『東京ゴッドファーザーズ』から完全にコンテを拡大したものをレイアウトにするという方法で描いているんですよ。
それで『東京ゴッドファーザーズ』以降の今さんのコンテはすごく緻密なんですよね。
パソコンとか使って、BGとブックとキャラを全部分けて描いて、それを構成して絵コンテにしてるんです。作打ちのときにはレイアウトはもう出来上がっていて、「もうレイアウト作業はいいですから、原画に入ってください」というやり方です。
Q. 沖浦さん(注11)のコンテはどうですか?
本田. 沖浦さんもすごく丁寧に描かれているんですが、コンテのサイズで描いています。だから、「それを拡大して描いてもよい。ただ、この絵が狂ってるかどうかは、ちゃんと各々が検証して、また描き直せ」というやり方なんですよ。沖浦さんの場合は、手間を要求してくるんですよね。
「「さすがに全部は言い過ぎかな」と言われました」
Q. 宮﨑監督の打ち合わせの話に戻ります。山下さんのインタビューで、宮﨑監督の打ち合わせはすごく面白かったと言っていました。本田さんにとって打ち合わせの内容で面白かったことは何ですか。
本田. 打ち合わせの内容は……もう覚えてないですね。(笑)
Q. 例えば、産屋のシーンのときの打ち合わせはどうでしたか。
本田. 参加したのは宮﨑さん、僕、原画の山森さん、撮影の奥井敦さん、美術の吉田昇さん、武重洋二さんです。だいたいいつもそれくらいが集まって作打ちをするんですよね。
Q. 作打ちの内容は、技術的な話ですか。
本田. 技術的な話は、実はあんまりしないんです。
技術的な部分は、例えばこれ。宮﨑さんのアナログ感覚では、普段こういうのはやりません。こういう処理はどうしたらいいのかというのは、だいたい撮影監督の奥井さんからアイデアが出ますただ、奥井さんも打ち合わせでは何も言わなくて、後から上がってきたものを見て考えるというやり方をしますね。
Q. 撮影の指示は全部絵コンテに書かれていると思います。例えば、ここはフォローで2コマ中6ということが絵コンテに書かれていますよね。それは宮﨑監督だけがやっているんですか。
本田. 確かに絵コンテから撮影指示は書いてはいます。ただ、結果的にはその通りにはやっていないです。とりあえず、昔からそういうやり方なんですよ。
例えば、Cパートのキリコが船から降りて「もどれ鳥ども!」と叫びながら走ってくるシーンで、絵コンテにはここのキリコの走りは「2コマ中1の走り」と書かれています。しかし2コマ中1の走りはあまりにも速すぎたので、結局2コマ中2にしました。そういった感じで、制作過程で絵コンテ通りになっていないところも結構あります。
Q. Cパートから宮﨑監督がストーリー展開について悩んだという話も聞きました。そのエピソードを教えてください。
本田. Cパートのコンテは最初、キリコの役割をヒミが担っていたんですよね。
「あ、やっとCパートでヒロインが出てきた」「僕はやっと女の子描ける」と思ったんですが、1週間ぐらい後に「全部描き直します」「全部みんなから回収してください」と言われたんです。コンテが回収されて、もう全部描き直しになりました。「全部?」と思っていたんですが、そのまた1週間ぐらい後に、「さすがに全部は言い過ぎかな」と言われて。
結局、部分的にヒミだったキャラのところを全部キリコに置き換えるという作業になってしまったんですよね。
Q. 脚本的に何が変わったんですか。
本田. ヒミだったのをキリコに変えた理由ですね。ヒミは眞人のお母さんじゃないですか。それでいて、ヒミはあの能力を持っていて、眞人にできなかったことを色々教えるという役割です。ただ、ヒミは眞人とほぼ同年代の見た目じゃないですか。そうすると女の子が強く見えてしまうから、さすがにまずいと思ったんでしょうね。ヒミが出てくる時点で、眞人は主人公じゃなくなってしまうんですよ。
多分、その兼ね合いなんだと思います。
Q. 宮﨑監督が描いた大叔父のイメージボードを見ると、本番の画面と全然違いますね。
本田. そうそう。このイメージボードなんて僕、見せてもらっていないです。(笑)
Q. え?
本田. そうそう。キャラクター設定は絵コンテの絵から抽出して僕が描いているんです。
Q. そんな流れだったんですか。面白いですね。
本田. だから、おおよそのデザインはやはり宮﨑さんなんです。
Q. 宮﨑監督はイタズラが大好きな人で知られていると思います。この『君たち』の制作でそういう話はありますか。
本田. そうですね。
宮﨑さんは、美術の吉田さんをおちょくってばかりいましたね。吉田さんは宮﨑さんが一番いじりやすい人だから、自分の背中のところに常に吉田さんを置いていて、いつも「吉田さん、吉田さん」と言っていました。ある時は、後ろにいないのに「吉田さん、吉田さん」と言うから、僕が「いや、いないですよ。吉田さん」と伝えたら、「あ、本当だ。どこ行ったんですか、あの人は」と言っていました。なんか、吉田さんにはいつも話しかけていましたね。お茶しに行くときも、絶対吉田さんを連れて行きますし。
まあ、一時は僕も連れて行かれていましたが。雑談で「魚を捌くのは描けない」と言っていました(笑)。
「大平さんを完全に殺しきることはできない」
Q. 次にスタッフクレジットにいる半田由美さんについて教えてください。新人アニメーターでしょうか。
本田. ああ、池田由美さんですね。
カラーでアニメーターをやっていた、この子が「宮﨑さんの作品をやりたい」と言うから、僕がお願いして今回入れてもらったんです。「半田」というのは、多分旦那の姓ですね。多分、領収書などの氏名が書かれている書類に「半田」と書いてあったんです。それがそのままクレジットに載ってしまったんだと思いますよ。
Q. 担当したシーンはどこですか。
本田. 最初に眞人が青サギと会うシーンですね。まあ、やってるシーンはバラバラなんですが。眞人が夏子の部屋からタバコを持って出た後、窓越しの青サギに折りたたみナイフを突きつけるあたりです。
それ以外もやっていますけどね。
あと、Cパートのキリコの部屋で横になっている眞人から、物音に気がついてガラス窓から外を覗くところまでです。その後の傷ついたペリカンが映るところからは近藤勝也さんですね。
Q. あー、はい。
本田. その後は、ペリカンの大群を手伝ってもらったかな。ペリカンの大群が門内になだれ込んで眞人を取り囲むあたりですね。
Q. ここは、ペリカンが何匹もいて、すごく大変そうです。そのあたりの原画は、米林宏昌さんじゃないですか。
本田. そうですね。そこも少しやってもらいました。
Q. 井上さんと山下さんが、「いやー、鳥を描くのは大変だった」と言っていました。
本田. そうそう。あの2人にかなり鳥は依存していますからね。
あとは、眞人と青サギが光のトンネルをくぐった後、光のアーチの一部がドアに変わるところから、眞人がドアを開けて入っていくところまでです。
Q. ありがとうございます。
原画家についてですが、やはり大平さんについて伺いたいです。大平さんは、現実か夢か分からないシーンを担当していましたね。それはどのように決まったんでしょうか。
本田. そこは、最初から宮﨑さんが決めていたんです。「このシーンは、大平さんにぜひ」みたいな感じでしたから。あの冒頭のシーンは、人をいっぱい描かなきゃいけないので、かなり大変です。それで、多分、宮﨑さんの中では「この人以外、考えられない」ということで決まったんですよね。
Q. 大平さんは今回、現実ではないようなシーンを描きましたが、本田さんにとって大平さんはリアルアニメーターですか。
本田. リアルアニメーターには間違いないんですけどね。ただ、どの作品をやっても、自分の絵のスタイルは絶対変えない人だから(笑)。
直し始めるとドツボにはまってしまうので、直すというよりは、大平さんの絵のタッチをできるだけ活かす形でやろうと思っていました。
Q. 今回の大平さんの仕事は特別だったと思います。大平さんは普段、特に宮﨑監督の映画では、すごく修正されています。しかし、今回は少しだけで、修正がほとんど入っていませんよね。
本田. ほとんど入っていません。他の作品を見ていると、いくら大平さんのカットに修正を入れても、やっぱり大平さんって分かるんですよね。修正を入れても無駄なんですよ。大平さんを完全に殺しきることはできないから。
Q. 大平さんによると、担当したカットはみんな大変で、あるカットを描くのに6ヶ月以上かかったそうです。それはどのカットですか。
本田. 正面から消防隊が延焼を防ぐシーンのあたりは、どのカットも時間がかかっていると思います。病院が燃えながら崩れ落ちるところもそうです。
大平さんは『PLUTO』をやりながらこの作品をやっていましたからね。
Q. 次に山下さんについて聞かせてください。『君たち』のアニメーターの中で本田さんが一番知っているのは、やはり山下さんですね。
本田. そうですね。最初のアニメスタジオ(アトリエ戯雅)に入ったときに、半年だけ山下さんに教わっていたんです。入社した半年後にスタジオが潰れてしまったので、それから30年ぐらい、ほとんど一緒に仕事はしたことがありませんでした。久々の一緒の仕事だったのが『青の6号』というGONZO で作っていた作品で、そこで山下さんに原画をお願いできました。あとは『エヴァ』、『旅ロボ』あたりで、ようやく少しやれたぐらいです。
今回の『君たち』で、やっと一緒に仕事ができたという感じですね。
Q. 山下さんは作画監督補(ノンクレジット)としても仕事をされていたそうですが、どうして山下さんを作画監督補に選んだんでしょうか。本田さんが選んだんですか。
本田. いや、立場的に僕が選んだわけではありません。宮﨑さんが「これはちょっとまずい」と感じた原画は山下さんに投げることが多いんです。僕のところにそういう原画が来てしまうと、作業が全部止まってしまうので。
Q. 本田さんには、本田さんらしいスタイルやロジックがあると思います。山下さんはよりジブリ的なスタイルをお持ちです。山下さんは本田さんと宮﨑監督との間をジブリらしいスタイルでつなげる役割をしていたように感じています。
本田. あ、そうです。
Q. 本田さんのスタイルにはあまりジブリっぽさがありませんが、山下さんがいたので大丈夫だったんでしょうか。
本田. そうですね。山下さんが作画監督補佐としての仕事をやってくれることによって、ちゃんとジブリっぽくしてくれて、こっちを引っ張ってくれているところもありました。
「湖川さんの絵は、人に伝えるための配慮があるんですよね」
Q. はい。では、ここから湖川先生の話にしましょう。
スタジオぱっくとアトリエ戯雅のアニメーターは、その多くが湖川先生の弟子にあたります。本田さんは、湖川先生にどんな影響を受けたんでしょうか。
本田. 僕自身が湖川さんに会ったことは、一度もありません。ビーボォーの設立者が湖川さんで、そこから抜けた人たちが作った、ビーボォーから枝分かれした会社がスタジオぱっくという会社で、アトリエ戯雅の前身なんですよね。
『伝説巨神イデオン』のあの絵のスタイルに、昔は影響を受けましたね。
Q. 『イデオン』というと、湖川先生と稲野義信さん(注12)の間では、本田さんはどちらが好きですか。
本田. 稲野さんの絵のスタイルの方が好きかもしれないです。湖川さんは湖川さんで、人に分かりやすく描いてくれている絵なんですよね。
Q. 湖川先生の技術書は読まれたことありますか。
本田. 僕も持っていましたよ。ただ、もうどこかに行ってしまいましたけど(笑)。
湖川さんが赤を入れた絵は、よく見ていましたね。湖川さんの本に、「A・Y君の画」と書いてあるのがありますよね。これ、山下さんの絵なんです。
Q. ああ、「A・Y」は「Akihiko Yamashita」ということなんですね。
本田. 山下さんの絵の感じが、やっぱりすごいな。当時からこんなに上手いんですよ。「この絵のどこに赤を入れる要素があるんだ」と思うんですけど。上手いんですよね……。
Q. 僕は湖川先生に会ったことがあるんですが、山下さんと湖川先生は、同じ考え方を持っていると思います。それは、「アニメーションは正確性だけを考えて描くのはダメ」「アニメーションには嘘を入れなきゃいけない」という考え方です。
本田. そうですね。湖川さんの動かし方は、分かりやすく、とにかく人に伝えやすくしている感じです。山下さんもそういうところがあるんですよね。集団作業だから、人に伝えやすくしなきゃいけないという描き方をします。
そこは師匠譲りだと思います。
Q. 多くの人が「湖川先生はすごくリアルな絵だから、ロジックで描いている」と言うんですが、それは違うと思います。
本田. そうですね。僕は会ったことないから分からないですが、湖川さんの絵は、人に伝えるための配慮があるんですよね。山下さんは、そういうところを受け継いでいると思いますよ。だから山下さんも、複雑なカットであっても、できるだけ動画に分かりやすく伝えるようにしていますね。だから、ちゃんと考えがあって描いているのがよく分かりますし、ところどころマンガっぽく動かしていることもあります。
例えば湖川さんのやっている作品だと、作監をやっている『ザブングル』27話が分かりやすいと思います。トロン・ミランという女性が出てきてすぐ死んでしまう話数は本当にマンガっぽく動かしていますよね。それでいて、極力少ない枚数で豊かに動かしています。
あの頃の湖川さんは、そこらへんにハマってたのかわからないけど、面白かったですよね。
Q. 湖川先生の本以外の入門書を使っていましたか。
本田. 他の入門書は、持っていたかな……。もし僕が若手に薦めるときは、湖川さんの本ですよ。
Q.「正確性だけを考えて描くのはダメ」という考え方については、本田さんはどう考えていますか。ロトスコープを、よく使っていたと思いますが。
本田. 確かにロトスコープはよくやりましたね。
ロトスコープは、なぞるだけで結構、正確にできるんです。なので、頭で考えて描くよりも豊かな動き方をします。それは自分でパラパラしてみるとわかりやすいですね。ただ、それを常にやっていると、ものすごく時間がかかってしまいます。
だから途中からは、実写の映像をコマ送りして、ポイントとなる絵だけを自分で見ながら描くというやり方にしました。
Q. 全部をトレースするわけではなくて、あるポーズだけをトレースするということですね。
本田. そうそう。ポイントになる絵だけを拾って描けば、割といい感じの動きになりますね。
Q. 沖浦さんの作画はどうですか。沖浦さんの作画を見ると、正確性だけを意識して描いているように見えます。
本田. いや正確性だけではないですね。
沖浦さんはリアリティをものすごく忠実に突き詰めますが、それだけだと面白い芝居にならないので、やはり大平さんの影響も受けています。『イノセンス』の時は、多分、大平さんの影響をだいぶ受けていますね。例えば、草薙素子の精神が抜けて、人形がダラーンと倒れるカットは、「どうやったら、こんな動き描けるんだろう」と思って原画をパラパラしてみたら、ちょっと大平さんっぽく歪めて描いていて、「やっぱり影響受けるんだな」と思いました。
「宮﨑さんは努力型ですからね」
Q. 安彦先生(注13)と湖川先生のうち、どちらが好きですか。
本田. そうですね。
安彦さんは本当に、才能だけで描いてるから、あの絵の描き方は恐ろしいですよ。あれは本当に天才なんでしょうね。
Q. ある意味で、宮﨑監督と似ているんじゃないでしょうか。
本田. 宮﨑さんは努力型ですからね。安彦さんも博学ですが、宮﨑さんは安彦さんと違って野心的なんですよね。若い頃に低迷している時期が長かったので。
最初の『カリオストロ』が興行的には全く振るわなかったので、そこから映画を作るチャンスがしばらくなくなって低迷した時期があったそうです。そこから地道にテレビアニメの『ルパン三世』や『ホームズ』をやって、『ナウシカ』からどんどん人気がでて、やっと今の地位があるわけだから。
安彦さんはまたちょっと違って最初から天才で、天才肌なものを作るので、どうしても物語が弱いんですよね。でも安彦さん、漫画は面白いんですけどね。やはり安彦さんが虫プロ出身だから、手塚治虫さんゆずりなところがあって。例えばシリアスな話の途中にギャグっぽい様子を入れるといった、「そんなことをやらなくていいのに」ということをやってしまうんですよ。手塚治虫みたいに。
そういうところがあるので、物語の中で深刻な話をやっても、物語が耐えられないんです。
そういうのは安彦さんの弱さかなとは思います。
Q. 安彦さんは性格や現場での振る舞い方が宮﨑監督と似ていると思います。アニメの天才で、自分の作品では演出、レイアウト、デザインから原画まで、すべてをきっちりコントロールしている点は同じではないですか。
本田. 安彦さんは昔、『未来少年コナン』で絵が全話統一されてることに影響を受けたんです。あの当時、あれだけ絵を統一できて面白い作品を、安彦さん自身が見たことがなかったんですね。安彦さんもそれを一回やろうと思って、『巨神ゴーグ』をほぼ一人で作ったんです。監督と絵コンテと作画監督とレイアウトを担当していましたよね。
Q. 安彦さんは『クラッシャージョウ』でも同じように、ほとんどの一原をやっていましたね。
本田. ただ、『ゴーグ』はあまり興行的に振るわなかったので、安彦さんはそこで「あんだけやったのに人気出ないのか」といじけているようですね。僕は大好きなんですけどね。『伝説巨神イデオン』も高校生の時に放送されていて、僕は毎週楽しみに見ていましたが、人気は出なかったらしいです。僕はすごく好きでした。DVDボックスも買いましたし。
「走りを描くのが好き」
Q. さきほどエロティシズムの話をしました。失礼かもしれませんが、本田さんは自分のフェチを絵に入れますか。
本田. それは、入れますよ。
Q. 例えば、『旅のロボから』の時はいかがでしたか。すごくエロいから。
本田. 『旅ロボ』での担当シーンは、エロいシーンというよりはどちらかというと、ギャグシーンですね。
Q. そうですか。
本田. エロいシーンはやっぱり井上さんですよ。
(一同笑)
本田. 井上さんはエロいですよ。
Q. 何か参考を見て作業されたんでしょうか。例えば、グラビアアイドルの写真などです。
本田. この時期になると、あまりそういうこともしていないですね。沖浦さんはしているかもしれませんが。
Q. 『アニメーター見本市』(注14)では『旅のロボから』以外に『西荻窪』があると思います。あるインタビューで本田さんが、走る女を描きたかったと言っていましたが。
本田. そうですね。
走りを描くのが好きだったので、それだけの作画で何か作品を作れないかと思っていました。それに、スケジュール、制作費も限られた中で制作するというスタンスだったので。
Q. 制作費は安かったんですか。
本田. 結果的には結構な時間もかかりましたし、お金もかかりました。それはもう、しょうがないです。
Q. 安く制作した作品には全然見えないですよ。スーパーアニメーターだけが参加していて、作画がすごく良いですし。
本田. だから、できるだけシンプルになるようにしました。
絵のスタイルも『かぐや姫』みたいに線と塗りを分ける形にしています。女の子が裸なのも、その方が簡単だからです。服を着せると色数が増えてしまって、複雑なことになってしまうじゃないですか。そういう理由でやっているんですね。
Q. 大平さんと働きたかったというのもありますか。
本田. そういう絵のスタイルだったら、大平晋也さんと橋本晋治さん(注15)は、「絶対確実に食いついてくるな」と思って、計算してやっていました。
Q. 『西荻窪』は『ゴキブリたちの黄昏』(注16)の影響があるように感じました。
本田. 『ゴキブリたちの黄昏』は見ていますよ。でも、見たのは相当前です。井上さんも参加しているんですよね。
Q. 『西荻窪』は『ゴキブリたちの黄昏』のオマージュでしたか。
本田. 『西荻窪』を作っている時に、「そういえば『ゴキブリたちの黄昏』っていうのがあったな」と思い出しはしました。
Q. 『西荻窪』の走りの作画で、気に入っているシーンはありますか。
本田. 自分でやった背動のあたりですかね。壁を登って本棚を登っていって、階段を飛び越えて、壁を走っていくあたりは、気合を入れてやりました。
Q. それはやはり『未来少年コナン』の影響じゃないですか。
本田. そうですね。『コナン』は走りがすごく面白くて、小学生ながらにも動きが面白いと思えた作品です。
Q. 『君たち』は本田さんと宮﨑監督の作品なのに、走りのシーンがあまりないですよね。歩きのシーンばかりです。
本田. そう。ずっと「走りとかないんですか」ということは、宮﨑さんに言っていました。宮﨑さんは「最後の方では、そういうシーンも入れたいと思います」とは言っていたんですが、あまりなかったですね。(笑)
Q. 最後の質問です。ここまで、宮﨑さん、湖川先生、安彦先生の話をしました。最後に本田さんが影響を受けた方として、貞本さん(注17)について聞かせてください。
本田. それはもう、貞本さんの絵は一番長く描いていましたからね。『ナディア』から『エヴァ』まで。『エヴァ』自体が長かったですからね。貞本さんには、否応もなく影響を受けました。
Q. お二人の関係はいかがですか。
本田. 特になにかあるわけではないですね。時々、飲みに行くような関係です。
貞本さん、最近は『グレンダイザー』をやっているらしくて、それに誘われないかとヒヤヒヤしています。「『グレンダイザー』か〜」っていう感じです。(笑)
Q. フランス人にしか受けないですよね。(笑)
本田. いや分からないです。あれはどんなスタイルなんですかね。
Q. なぜフランス人が好きな作品を作ることにしたんでしょうね。作るなら『マジンガーZ』の方がいい気がします。
本田. 『グレンダイザー』のパイロットのようなアニメで、昔、『宇宙円盤大戦争』という東映動画の劇場アニメがあって、あれがすごく好きなんですよね。
Q. 作画的にもすごくよかったですね。
本田. 話がぶっ飛んでいて、「なんじゃこの話~!?」と当時、思いました。『グレンダイザー』もこれでやればいいのにと、ずっと思っていたんですよ。
Q.『グレンダイザー』と同じ時に『ライディーン』があって、『ライディーン』の方がレベルが高かったですね。
本田. 『ライディーン』は昔、超合金を売っていましたよ。ライディーンは鳥に変身すると思うんですが、当時売っていた超合金も、ちゃんと鳥に変形するんですよね。あれは好きでした。
Q. ロボットアニメはよく見ていたんですか。
本田. 僕らの世代で、ロボットアニメを見ていない人はいないんじゃないですか。常にロボットアニメをテレビでやっていましたね。サンライズ系のアニメはだいたいロボットアニメですし、他の東映動画にも『ガイキング』など、色々ありましたしね。
ロボットアニメはだいたい見ていました。
Q. では、金田伊功さん(注18)の作画についても、お好きなんですね。
本田. もう大好きです。あれこそ感覚で描いていますよね。
Q. 『ガイキング』といえば、すぐに金田さんの話数を思い出します。(笑)
本田. 金田さんもすごいんですが、金田さんがいつも入っている班の、作画監督の野田卓雄さんがすごいんですよ。
Q. 分かります。すごいですよね。
本田. あの頃の野田さんは、金田さんそっくりに描いているんですよ。だから、金田さんが作監の回と野田さんが作監の回、絵が区別つかないんです。
Q. 残念ですが、もう時間切れのようです。今日はありがとうございました。
本田. ありがとうございます。
脚注
- 湖川友謙 (こがわ・とものり、1950年生)。アニメーター、キャラクターデザイナー。富野由悠季監督とのコンビで、『伝説巨神イデオン』『戦闘メカザブングル』『聖戦士ダンバイン』のキャラクターデザインで特に知られる。そのユニークなデザインと解剖学へのこだわりは、1980年代初頭におけるリアルアニメーションの先駆者の一人となった。
- 井上俊之 (いのうえ・としゆき、1961年生)。アニメーター。 「完璧なアニメーター」の異名を持ち、史上最も偉大なアニメーターの一人であり、日本アニメーション史に最も造詣の深い人物の一人として広く知られている。リアル系アニメーターで知られ、代表作に『AKIRA』『攻殻機動隊』『さよならの朝に約束の花をかざろう』など。『君たちはどう生きるか』は原画で参加します。
- 『機動警察パトレイバー2』1993年の映画、監督押井守、制作Production I.G。押井守監督の『パトレイバー』シリーズ2映画作目にして最終作。一般に、アニメ映画の最高傑作のひとつとされている。特にアニメーターの間では、そのリアルなアニメーションと設定の細やかさが高く評価されている。この2つを支えたのが、専門の美術家が事前に各ショットやカメラワークの極めて詳細な設計を作成する「レイアウトシステム」という前代未聞の手法であった。
- 近藤勝也 (こんどう・かつや、1963年生) アニメーター、キャラクターデザイナー。スタジオジブリの中心なメンバー、原画・作画監督・キャラクターデザイナーとしてシブリの作品によく手をかけています。特に『魔女の宅急便』のキャラクターデザインと『崖の上のポニョ』で有名。『君たちはどう生きるか』は原画で参加します。
- 田中敦子(たなか・あつこ、1957年生) アニメーター。テレコム アニメーション フィルムに所属し、『ルパン三世 カリオストロの城』以来、宮崎駿監督と長年協力し続けています。 食べ物の作画、特に『ハウルの動く城』の朝食シーンで有名。『君たちはどう生きるか』は原画で参加します。
- 山下明彦 (やました・あきひこ、1966年生) アニメーター、キャラクターデザイナー。『ジャイアントロボ THE ANIMATION 地球が静止する日』のキャラクターデザインで知られて、『千と千尋の神隠し』以来ジブリ作品によく参加しています。『ハウルの動く城』の作画監督になった後、ジブリの主要メンバーになりました。『君たちはどう生きるか』は原画で参加します。
- 大平晋也 (おおひら・しんや、1966年生) アニメーター。日本のアニメーション界で最も急進的なアーティストの一人で、非常に緻密で表現主義的な作画で知られています。 1990 年代のリアル系アニメの主要メンバーで、今は実験的なものに近づいています。 『紅の豚』以来、宮崎駿作品によく参加しています。『君たちはどう生きるか』は原画で参加します。
- 『千年女優』2001年映画、今 敏監督、マッドハウス作品。今 敏監督の第2作で、本田雄をキャラクター・デザイナー、作画監督に起用。20 世紀の日本を舞台に、架空の女優、藤原千代子の人生と映画を描きます。
- 『夢みる機械』今 敏監督の最後の未完の映画プロジェクトで、2010年の彼の死により中断された。キャラクターデザイナーの板津匡覧が制作を引き継ぐ予定だったが、2011年以来中断されている。
- 保田道世 (やすだ・みちよ、1939–2016) スタジオジブリの仕上部のチーフで、1960年代後半の東映動画時代から高畑勲や宮崎駿の協力者であった。色彩設定としての代表作に『赤毛のアン』『風の谷のナウシカ』『天使のたまご』など、1985年から2013年までのジブリ作品のほとんどを手がける。
- 沖浦啓之 (おきうら・ひろゆき、1966年生) アニメーター、監督。アニメアール出身。『アキラ』に参加し「リアル系」アニメーターとして知られるようになって、作画の恐るべき解剖学的正確さで知られています。監督としての代表作品は『人狼 JIN-ROH』『ももへの手紙』。
- 稲野義信 (いなの・よしのぶ、1953年生) アニメーター。スタジオバードでアニメーターをつとめる。その後A-1ピクチャーズ作品で活動。富野由悠季監督、湖川友謙 作画監督作品への参加で有名。のちに3DCGアニメへと進出した。
- 安彦良和(やすひこ・よしかず、1947年生)アニメーター、イラストレーター、漫画家、監督、キャラクターデザイナー。 『機動戦士ガンダム』のキャラクターデザイナー、作画監督として知られる。才能のあるアニメーターでもあり、1970 年代にリアルなキャラクターの演技の黄金基準を打ち立てました。 現在も漫画家、映画監督として活動中。
- 日本アニメ(ーター)見本市 2014-2015オムニバス、スタジオカラー作品。 庵野秀明監督のスタジオカラーが制作した、全35話約10分のWEBオムニバス。 日本の最高のアニメーションの才能を紹介することを目的として、各エピソードは異なるチームによって制作されました。
- 橋本晋治 (1967-). アニメーター、キャラクターデザイナー。1990年代初頭から大平晋也と親交があり、リアル系アニメーションの主要メンバーの一人である。デフォルメを多用する点で、大平氏と作画が似ているが、橋本氏はあらゆる作風に対応できることでも有名で、スタジオジブリ作品の常連である。
- 『ゴキブリの黄昏』、1987 年映画、吉田博昭監督 、マッドハウス作品。 実写の俳優と擬人化されたゴキブリの作画を組み合わせた実験的な映画。
- 貞本義行(さだもと・よしゆき、1962年生)。 アニメーター、キャラクターデザイナー。 スタジオ・ガイナックスの主要メンバーの一人である。『エヴァンゲリオン』や『フリクリ』のキャラクターデザイナーとして有名。
- 金田伊功 (かなだ・よしのり、1952-2009) アニメーター。日本のアニメーション史において最も重要なアニメーターの一人。 その独特のスタイルで広く知られるようになった最初のアニメーターの 1 人です。 金田は、山下将仁から今石洋之、亀田祥倫まで、何世代にもわたる生徒を輩出してきました。 代表作に『無敵超人ザンボット3』、『銀河鉄道999』、『風の谷のナウシカ』など。
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