大平晋也は言わずと知れた、不規則な線とデフォルメに重点を置いた作画で、世界で最もユニークなアニメーターである。しかし、大平氏の作風とキャリアは、現在有名なデフォルメだけではありません。
18歳でアニメーションの世界に入り、スタジオぴえろに入社、山下将仁の熱烈な弟子としてメカアニメーションを専門にしていた。しかし、すぐにキャラクターアニメーションに転向し、『アキラ』に続いて、うつのみやさとる、磯光雄、田辺修などと共に、リアル世代の偉大なアニメーターと仕事をするようになった。その時に、『骨董屋』や『ユンカース・カム・ヒア』のパイロットフィルムなどの実験的な作品を作りました。この実験的な傾向から、湯浅政明と組んで、アニメ史上最も革新的なエピソードのひとつである『THE八犬伝新章』第4話を作ることになった。その時から、現在のような特異な作画が確立されたのである。
2022年9月にブリュッセルで開催された「メイド・イン・アジア」のイベントで、大平氏と友人の高橋淳一氏にお会いする機会がありました。彼らは、メンバーや友人によるアートブックやパラパラ漫画を出版している、彼らのグループ「スタジオ・ブレイク」の活動や出版物をプロモーションするために来ていたのです。ここから話が始まったが、大平氏のキャリア全体、つまりその過去、現在、未来について話し合うこともできました。
このインタビューは、全文を無料でご覧いただけます。なお、このような記事を今後も出版できるように、ご支援をお願い申し上げます。
“自分の生い立ちを動画にするっていう考えました”
Q.来てくれてありがとうございます。ベルギーはどうですか?
大平 まあ、本当、おいしいものたくさん食べました、ベルギービールも特に、堪能、もう結構飲みましたよね。ビール何十杯くらいいってるよね多分、来てから。楽しんでます。
Q.ヨーロッパは何回目ですか?
大平 初めてです。僕はちょっと飛行機が苦手で、なかなか。(笑)
Q.じゃあ、もう来ないんですか?
大平 どうでしょうか。(笑)
Q.大平さんのアニメーションはすでにかなり有名ですが、スタジオブレイクというグループはあまり知られていないようです。大平さん、高橋さんから詳しく教えてください。
大平 スタジオブレイク自体は、僕がフリーのアニメーターになった時に、友達と一緒に仕事を始めたんですね。その時に、名前つけようかってなって、会社ではなくてホントにもう個人的にブレイクって名乗ったっていうところですかね。あとはその、これは話していいかわからないですけど、名前出せない場合にブレイクで、ペンネームみたいな感じで出してたりっていうのがあります。
Q.メンバーは?
大平 メンバーは一番初めはやっぱり矢野淳さん (脚注1) です。後に橋本晋治君 (脚注2) 、で一応崎山北斗君 (脚注3) 、で高橋淳一君、かな?そんな感じですかね。
Q.高橋さんは、プロデューサーですか?
通訳者 そのような存在ですね。
大平 そうですね。いろいろ、段取りはやってもらってるので、まあそういう形ですよね。でも、まだ会社ではないので色々…
高橋 もうちょっとしたらカンパニーにするんで…
Q.ブレイクは千葉にあるんですね?どうして千葉?
大平 え?千葉?
高橋 あ、僕は千葉市で、みんなバラバラです。
Q.大平さんは、どこでしょうか?
大平 愛知県北名古屋市です。自宅です。
Q.お二人はいつからの知合いですか?
高橋 27-8年の付き合いですね。
大平 はい。
Q.普通のアニメのカットはまず原画、そして第二原画、動画ですけど、やっぱり大平さんのカットなら、そのやり方では無理ですよね?制作方法は?
大平 そうですね。仕事的には、基本原画最後までこなしてる事が多いです。で二原撒きとかに関しては、キャラクターの部分は二原撒きに撒いて、エフェクトは最後自分でやるっていう形が多いですかね。
Q.紙で描きますか?
大平 完全にペーパーです。紙です。2Dで。
Q.鉛筆は何ですか?
大平 鉛筆は6Bと10Bです。
大平晋也のパラパラ漫画『1966』
Q.ベルギーに持ち込まれたパラパラ漫画の中に、『1966』という自伝のがありますね。どういうきっかけで描きましたか?
大平 まあ、そう、高橋君とパラパラ漫画を同人誌で作りましょうってなった時に、なかなかこうネタ的に描けないんです。100枚描かなきゃいけないんで。どうしようかと思ったときに、今回は動画じゃなくて何か自分の生い立ちを動画にするっていうか、1枚1枚絵は繋がってないんですけど、年代を追って描くってことをやろうと思ったのがこれですかね。
Q.名古屋大学の紙の裏に描かれたんですよね?今でも本で見られます。
大平 あー、これあの、これ学校の時に学校の紙使ってちょっと書いちゃったんで、まあ裏使ってたんですけど。どうしても字が薄く出ちゃった。(笑)たまたま出ちゃっただけです。
Q.ショートのアニメになりますか?
大平 ショートのアニメになる?
高橋 ムービーにしませんかという話ですね。
大平 ムービーにしないかというこということですか?
高橋 ならないな。
大平 そうですね、まあ動いてないので、結婚式のムービーじゃないですけど。ストロボ的にふわふわっと思い出みたいな感じで、映像表現できるのかもしれないですけど。そういうことは全く考えていないですね。
Q.気になる絵があるんですが。大平さんがミシンを使っている姿を描かれているものですね。これは何を意味しているのでしょうか?アルバイトでもしていたんですか?
大平 いいえ。親が縫製工場をしていて、後を継いで働いてました。その期間アニメを長く休んでいたんですよね。
Q.でも、アニメに戻ってきたんですね。それはどのようなきっかけだったのでしょうか。
大平 戸倉紀元さん (脚注4) に今後いろいろ相談にのってもらったのがきっかけだったと思います。
Q.パラパラ漫画の最後には、犬と一緒にいるのが描かれていますね。大平さんの作品には、犬がよく出ていますよね。
大平 はい、これ、うちの犬です。豆柴のスズトって名前です。今もうだいぶおじいちゃんくらいになっちゃってますけど。(笑)
“シャープであって、肉肉しいんですよね、山下さんの描く絵が”
Q.山下将仁さん (脚注5) の『うる星やつら』(脚注6) を観てアニメーターになっただと思います。山下さんの作画の何が特別な魅力ですか?
大平 ああ、あの…. まず金田伊功さん (脚注7) のムードがあるダイナミックなアクション、それから金田さんにはない、肉感っていうんですかね、ディテールっていうかこう、なんか、シャープであってなんかこう肉肉しいんですよね。山下さんの描く絵が。あのなんかこうムチムチっとしたムードが大好きで、曲線が特に大好きで、金田さんはわりとこうシャープな定規で引いたような。直線が多いんですけど、山下さんはそうではなくて曲線の集合体でこう、ディティールを描いているような、そういうところが特に好きですかね。そういうところで。金田さんよりも、なんか山下さんのタッチのほうが好きだっていう感じですかね。
Q.「うる星やつら」の話になるので、「オンリー・ユー」(脚注8) と「ビューティフル・ドリーマー」(脚注9) のどちらが好きですか?
大平「オンリー・ユー」しかないですね。(笑)
Q.「うる星やつら」のリメイクがありますが、興味はありますか?
大平 いやぁ、もうスタッフが全然違うので、お話に興味は特にはなかったので、申し訳ないんですけど、山下さんやらないなら観る機会はもう全くないですね。
Q.大平さんのスタイルについてですけど、最初は山下さんの真似をされていましたよね。でも、その後、もっとリアルなものに変えて、今はリアルなスタイルからユニークなスタイルになってます。現在のスタイルはリアルとも違いますか?
大平 基本的には生々しい表現はしたいというのがあります。あとは、アニメーション的にダイナミックにちょっとアレンジしたような、そういう部分もキチンと加味してやはりアニメはアニメらしい動きというか。生々しいんだけどちょっとアニメーションなりのデフォルメの効いた作画をしたいっていう様な事を考えています。
Q.『ユンカース』(脚注10) のパイロットに参加した切っ掛けは…
大平『ユンカース』の切っ掛け、切っ掛けどうだったんだろうなあ、記憶が飛んでる。覚えてない。あれは会社どこだったっけな。
高橋 トライアングルスタッフ。
大平 トライアングルスタッフていうところの制作さんからまずお話の声かけはあったと思うんですよね。で、なんでそこでキャラデザインと作監をこの自分にって思ったんですけど、なんかそこは突っ込んでちゃんと聞いてない様な気がするんですけどね。だから僕忘れてるかもしれないです。すみません。
Q.大橋学さん (脚注11) も参加しましたね。大橋さんについて一言。
大平 僕にとっては大先輩も大先輩で、なかなか近寄れないくらい恐れ多い御方でした。まだ結構お若くして亡くなられたので、残念で仕方がないんですけど。特に『ロボット・カーニバル』(脚注12) とか、ああいった表現大好きでした。『ユンカース』でもパイロットで手伝っていただいてて、初めて原画を拝見したんですけど、すごく素晴らしかったです。
Q.当時は、磯光雄さん (脚注13) とのコラボも多かったですね。お二人の出会いはどんなものだったのか?
大平 磯光雄君は…. ええ…. 最初あの、ガンダムの0080 (脚注14) だったっけ。
高橋 0080です。
大平 0080で初めて絵を見ることがあって「うわ、こんなすげぇやついるんだ」ってことになって、何で会ったのかな、最初。
高橋 あれじゃない?ぴえろの「御先祖」(脚注15)
大平「御先祖」?あ、多分ぴえろの「御先祖」の原画やった時に磯氏が参加するってことになって、そこで出会ったのが初めてじゃないですかね。おそらくですけど。その後自分が「八犬伝」やった時にちょっと手伝ってもらったりっていうのはありました。
Q.0080の話が出ましたね。なぜ、ほんの少しの資料をやっただけで降りてしまったんですか?
大平 たぶん別の仕事に入っちゃったと思うんですけど、「御先祖」かな?
高橋「御先祖」、多分。
大平 多分「御先祖」がメインになっちゃって、その「ガンダム」方はね… 降りたていう表現はアレですけど、ちょっと作業的に厳しいっていう事で。
高橋 あの時ロボブーム去っちゃってたしね。
大平 なかなかちょっとメカっていうよりはやっぱりキャラクター、人物のほうを描きたいなって思ったっていうのがあったので、多分そっちだと思います。
Q.高橋さんにも質問良いですか?磯さんとのアーティストとしての人間関係はいかがでしたか?
大平「アーティストとしての人間関係」って(笑)。
高橋 元々はあれだよね、ちょっと切磋琢磨してる関係だと思ってたよね。あの、要するに競争相手っぽい感じライバル関係みたいな見方を僕はしてましたけど。
Q.大平さんと湯浅さんは?
高橋 湯浅さん (脚注16) と大平さんはまず友達である。まあもともとはあれだよね、「八犬伝」の時に湯浅さんを呼んできたんだよね、大平さんが、ツテを使って。でそこで一回辞めるんで、その後湯浅さんが監督をやった時に手伝ったんだよね。まあそういう関係でやってるんだと。多分相性が良いと思っていますよね、絵的な。
“原点回帰したいんですよ、僕”
Q. 大平さんは、湯浅さんの「犬王」(脚注17) 観ましたか?
大平 はい。映画館に行きました。
Q. 参加しなかったんですね?
大平 参加はできませんでした。やりたかったんですけどね。ちょっと別の仕事がいっぱいいっぱいで、残念でした。
Q.名古屋の学校に、弟子はいましたか?
大平 弟子?(笑) 弟子、というか基本的には教師なんで教え子は何十人っていたと思うんですが。
Q.自分の自主制作アニメをやってみたいですか?
大平 もちろんそれは、興味はありますね。もちろんです。
高橋 ショートじゃなくても作りたいです。
大平 作りたいですね。ずっと思ってるのは。
Q.予定はありますか?
大平 予定はないですね。小さいのはもしかしたら近々にあるかもしれないですね。ただ長い物を作りたいですよね、死ぬまでには何とか。ロボット物は少しやってみたいねって思ってるので。全く3Dじゃなくて、手描きで。なんか80年代物みたいなノリでやってみたいですね。
Q.「バース」(脚注18) のリメイクはどうでしょうか?
大平 (笑)まあそのようなノリですよね。だから、原点回帰したいんですよ、僕。最初金田さんとか山下さんとか大好きだったんで、それで結構否定されて自分変わっていかなきゃいけなかった部分あったんで、今こういう状況で自分がある程度前になって描かせてもらえる状況になってきてるんで。以前に僕が18とか20の時に描けなかった山下もどき、金田もどきみたいなのをも一回自分なりの解釈で長い尺を使ってね、作品作りたいなと思っています。物語じゃなくて、そういう絵をドキュメンタリー的に映画にしたいっていうか、そう思ってます。動きまくる物を描きたいと思ってます。
Q.いま、計画はどのような状態ですか?
大平 計画はまだほとんどゼロ状態です。(笑)まあそのきっかけでその短編の方もしかしたら近々に形になるかもしれないです。それはちょっとまだ言えないです。ごめんなさい。
Q.スタジオとの約束はもうありますか?
大平 そうですね。ちょっとまだ言えないですけど。
高橋 権利関係もあるんです。
大平 まだGoするかもわからないです。まだ企画の前なので。ごめんなさい。
Q.とにかく楽しみに待っています! 今日はどうもありがとうございました。
脚注
1. 矢野淳 (1964-). アニメーター。大平晋也の友人で、アニメーターの先輩でもあり、80年代には山下将仁の熱烈な弟子の一人だった。現在はアニメーション界から引退している。
2. 橋本晋治 (1967-). アニメーター、キャラクターデザイナー。1990年代初頭から大平晋也と親交があり、リアル系アニメーションの主要メンバーの一人である。デフォルメを多用する点で、大平氏と作画が似ているが、橋本氏はあらゆる作風に対応できることでも有名で、スタジオジブリ作品の常連である。
3. 崎山北斗 (1985-). アニメーター。大平晋也の長年のファンで、代表作に『スタードライバー』『ピンポン』『スペースダンディ2』など。
4. 戸倉紀元. アニメーター。エフェクトアニメーションを専門とし、代表作は『機動戦士ガンダム逆襲のシャア』『ラストエグザイル』『レッドライン』『呪術廻戦』など。
5. 山下将仁 (1961-). アニメーター。1980年代のアニメーション界を代表するアニメーターの一人で、極めて様式化された作画と突飛なタイミングで有名になった。特にエフェクトやメカアニメーションに大きな影響を与えた。
6.「うる星やつら」1981年〜1986年のTVシリーズ、スタジオぴえろ&スタジオディーン、押井守、山崎一夫監督。テレビアニメ史上最も重要なシリーズのひとつで、全世代のアニメーターに大きな影響を与えた。山下将仁、西島克彦、森山雄治などのアニメーターが有名になったのは、この作品からである。2022年10月からは、スタジオ・デイヴィッド・プロダクション制作によるリメイク版が放映されている。
7. 金田伊功 (1952–2009). アニメーター。メカ、エフェクト、キャラクターアニメーションに革命をもたらした、日本アニメーション史上最も重要なアニメーター。「作画の父」と呼ばれることもあり、その独特の作風が広く認められた最初のアニメーターの一人である。山下将仁、今石洋之、亀田祥倫など、何世代にもわたってフォロワーを生んでいる。
8.「うる星やつら オンリー・ユー」1983年映画、スタジオぴえろ、押井守監督。「うる星やつら」の劇場版第1作で、機械アニメーションの作画監督は山下将仁。
9.「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」 1984年映画、スタジオぴえろ、押井守監督。「うる星やつら」シリーズの劇場版第2作で、シリーズの定石から離れ、質の高いアニメーションで有名な作品。
10.「ユンカース・カム・ヒア」 1995年映画、トライアングル・スタッフ、佐藤順一監督。磯光雄、田辺修を中心としたリアル系の主要メンバーが結集した映画。大平晋也はパイロット版でキャラクターデザイン・作画監督を務めたが、スケジュールと予算を守らず小松原一男に交代した(パイロット版の制作期間は6カ月と言われている)。
11. 大橋学 (1949–2022). アニメーター。常に商業創作と自主創作の狭間にいたアニメ史上のユニークな人物。特に出崎統監督(『宝島』『あしたのジョー2』『スペースコブラ』)やスタジオマッドハウス(『幻魔大戦』『カムイの刃』)とのコラボレーションは有名。
12.「ロボットカーニバル」1987年のアンソロジー、APPP。1980年代を代表するアニメーターが集結した短編アニメーションのアンソロジー。大橋学はマオ・ラムドというペンネームで、詩的な短編「雲」を寄稿した。
13. 磯光雄 (1966-). アニメーター、監督。近年のアニメ史において最も重要なアニメーターの一人である。驚くほどリアルな作画でリアル系の中心的存在であった。その後、『電脳コイル』『地球外少年少女』のSFシリーズで監督を務める。
14.「機動戦士ガンダム 0080 ポケットの中の戦争」1989年OVA、サンライズ、高山文彦監督。磯氏はこのOVAで、特に第1話の南極基地襲撃シーンで、アニメーターやアニメファンの間で有名になった。磯氏が試みたエフェクトのスタイルは、90年代、2000年代のアニメーションに多大な影響を与えた。
15.「御先祖様万々歳!」1989年 — 1990年 OVA、スタジオぴえろ押井守監督。このOVAは『アキラ』の後の風景におけるリアル系の最初の偉大な名作である。うつのみやさとるの作画監督のもと、『アキラ』のアニメーターたちは、磯光雄や大平晋也と接触。ダイナミックな動き、デフォルメ、リアリズムが相反するものでなく、補完しあう新しい時代のアニメーションの到来を告げたのである。
16. 湯浅政明 (1965-). アニメーター、監督。デフォルメを多用した独特の動きで知られるアニメーターで、『マインド・ゲーム』『カイバ』『ケモノヅメ』で2000年代を代表する監督となる。その後、自身のスタジオ「サイエンス・サル」を設立し、Flashアニメーションなどの新しい手法を取り入れた作品を発表している。
17.「犬王」2022年映画、サイエンス・サル、湯浅政明監督。湯浅監督の最新作であり、サイエンス・サルの最終作でもあるこの作品は、中世の日本を舞台に2人のアーティストを描いたロックオペラ。
18.「バース」1984年OVA、カナメプロダクション、貞光紳也監督。キャラクターデザイン・作画監督を金田伊功が担当し、金田伊功とその弟子たちの最高傑作となった。
このインタビューは、全文を無料でご覧いただけます。なお、このような記事を今後も出版できるように、ご支援をお願い申し上げます。
『イデオン』はエゴの死 ー 新潟国際アニメーション映画祭』で富野由悠季のインタビュー
富野由悠季は、疑いなくアニメ史上最も有名で重要な監督の一人。『ガンダム』の生みの親であるだけでなく、ロボットアニメとSF全般に影響を与えた作品を残した、非常に多作なクリエイター。 このような伝説の人物に会う機会があったのは、第2回新潟国際アニメーション映画祭のときだった。富野監督はエネルギッシュで親切で、海外の人と自分の作品や映画への愛について喜んで語った。 聞き手: ジョワイエ・ルド、ワツキ・マテオ 協力: ワツキ・マテオ 編集協力:...
映画祭は出会いと発見 -新潟国際アニメーション映画祭ジェネラルプロデューサー真木太郎インタビュー
株式会社ジェンコの代表取締役として、真木太郎はアニメ業界大事な人物である。彼のキャリアでは、プロデューサーとして押井守(『機動警察パトレイバー the Movie』)、今敏(『千年女優』)、片渕須直(『この世界の片隅に』)などの日本のアニメを代表する作家を支えた。 2022年から、真木とジェンコは別の方法で日本や世界のアニメーションを応援する。それは新潟国際アニメーション映画祭です。第2回では、そのメインスポンサーとジェネラルプロデューサーの真木太郎と映画祭と日本と海外のビジシネス関係について語る機会ができました。 聞き手:...
「アートからエンタメまで全部取り込むのが新潟です」- 新潟国際アニメーション映画祭プログラムディレクター・数土直志インタビュー
第2新潟国際アニメーション映画祭は、出会いと再会に溢れた。その中には数土直志さんだ。ビジネスサイトの「アニメーションビジネス」の創設者とライターとして、数土さんは日本のアニメジャーナリズムのキーパーソンである。昨年から、数土義さんは潟国際アニメーション映画祭のプログラムディレクターを努めている。それは、映画祭の方向性や上映されるざまざまの作品を決める役割だ。 数土さんの話を伺ったときは、アニメ業界のこれからとグローバル化を触れて、そして新潟映画祭がこうした発展の中でどのような位置にあるのかについて話し合いました。 聞き手:...
Trackbacks/Pingbacks