フランスのジャパン・トゥール・フェスティバルで、アニメ監督の中村亮介とキャラクターデザイナーの細居美恵子の才能ある二人組に出会った。この二人の素晴らしい二人組は、『ねらわれた学園』、『あいうら』、『灰と幻想のグリムガル』などの印象的な作品を生み出した。
中村亮介は、丸山正雄社長にスカウトされてスタジオマッドハウスに入社しました。その間に『デスノート』、『進撃の巨人』などの監督荒木哲郎と親交を深めた。
細井美恵子は、『昭和元禄落語心中』などの上品なキャラクターデザインと、『ねらわれた学園』などの表現力あふれるアニメーションで高い評価を確立している。
英語版: https://ffl.moe/nmmh
聞き手: ジョワイエ・ルド、アントワーヌ・ジョバール
日本語編集者: ワツキ・マテオ、アントワーヌ・ジョバール
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「初めてだったんですけど、パワフルさに圧倒された」
Q. 最初の質問から大変失礼なことをお聞きしますが、細居さんと仲村さんはご夫婦ですか?
細居美恵子. 違います(笑)
中村亮介. フレンドです(笑)
Q. よく一緒に働いていらっしゃるのでどうなのかと思っていました。それでは、お二人の出会いを教えてください。
細居美恵子. 『逆境無頼カイジ』という仕事で初めて中村さんとご一緒しまして…
中村亮介. 2007年ですね。
細居美恵子. そうですね。その『カイジ』の漫画原作がとても好きで、その中でもすごい重要なエピソードをマッドハウスというスタジオで初めて私が作画監督として任せていただける仕事になりました。すごく頑張らなければと思って、向かったところ、あのコンテ演出をされたのは中村さん。非常に素晴らしいコンテをいただいて、というのが最初の出会いっていう感じですかね。
中村亮介. はい、『カイジ』の中に鉄骨の橋を主人公たちが渡っていくエピソードがあって、あそこが作品の中でもとても盛り上がる。13話を僕が演出して、次のは荒木哲郎くんでした。『進撃の巨人』とかの監督ですけれども、僕の友人でもあって。僕は絵コンテを描くだけじゃなくて演出までやる予定だったので、誰が作画監督になるかというのを気にしてたんですね。実は最初は別の方の名前を聞いてたんですけど、直前になって変更になったと聞きました。それでいらっしゃったのが細居さんで、多分細居さんもその以前の仕事の評価が高くて、やっぱり細居さんに作画監督をお願いしようという風に監督やプロデューサーの間で相談したんだと思います。
Q. やはりお二人の仕事のコンビネーションはぴったりですね。
中村亮介. そのときが初めてだったんですけど、パワフルさに圧倒されて…
Q. お二人の働き方を説明してくださいませんか?
細居美恵子. 普通は中村さんがコンテと演出で、私が作画ということですね。
中村亮介. あと各話だったり、オープニング・エンディングだとそうですけど、テレビシリーズだったり劇場だったりした場合はキャラクターデザイン、あと僕が脚本も担当することが結構多いですね。
Q. 中村さんの演出の魅力はなんでしょうか?
細居美恵子. 『カイジ』で言うならば、その漫画原作にとてもクセがあるんですね。とてもクセのある漫画で非常に面白いんですけれども、なんていうか、そのまま映像に置き換えることが難しい。映像にするには、映像にするための翻訳が必要なんですね。その時に、人によってはちょっとその人の感性で、意訳する。つまり内容とはちょっと違う感じになったりとか、そういうことも多いんですが、中村さんは原作の印象のままちゃんと映像に翻訳して、でも、漫画のコマは一切使ってないんです。全然違うんですけれども、印象が原作のままなんですね。それで本当に感動しました。原作よりも原作的な映像にする。その技術に本当に感動しました。
Q. 細居さんのデザインや作監の仕事の魅力はなんでしょうか?
中村亮介. 何と言ってもパワフルさね。仕事のちょっとディテールの話になりますけど、原画マンに打ち合わせして、その原画マンからレイアウトが上がってくるんで、僕は演出としてチェックします。僕は細居さんの仕事を見るタイミングは、僕が演出チェックしたものをさらに細居さんが作画監督としてチェックして、原画マンの元に戻る。原画マンが原画を描いて、そして僕のところに原画チェックとして来るときに初めて細居さんの絵を僕が見るんですよ。
細居さんの仕事をしてから、僕が見るまでに結構タイムラグがあるんですね。原画マンから原画が上がりだしてきたときに細居さんがどういう風に作画監督としてお仕事をされたのかというのを見て、そのパワフルさに衝撃を受けて、こんなに直してくれるなら僕がそんなに絵を入れなくてもよかったなとか思いましたけど。
あとはテレビシリーズだと、どうしても予算上の作画枚数の目安というのがあるので、作画枚数の上で僕が諦めてたような動きがあります。例えば涙がウルウルするとか、髪が風になびくとか。そういうのもぼかすべきだっていう風にお考えになったと思うんですが、ばっちり全部動きが入っていて、おかげですごく動きの多い話数になりました。
細居美恵子. 私は作画なので、絵コンテを受け取ってそれを絵にするだけですけれども、その絵コンテを受け取ったときに絵コンテによっては、例えばこのキャラクターこの表情かなっていうのに納得いかないときが結構あるんですね。なんですけれども、中村さんはそれをすっと受けられることがほとんどで、なんだろう、このキャラの感情だと絵で返すわけですけれども、それが間違っていないという自信を持って出すことができる。中村さんの絵コンテは私にとってそのような感じです。
Q. 長い付き合いですね。友人と働くのは大変なこともあるのではないでしょうか?
細居美恵子. すごい喧嘩しますよね(笑)。
中村亮介.. やっぱり疎遠の方があんまり強く自分の意見を言えないので喧嘩もしづらいと思うんですが、その自分が思ったことを親しい方が主張しやすいので、その分意見がぶつかります。
細居美恵子. なんですけど、アニメ業界でよく感じることがコミュニケーション不足、コミュニケーションが成り立たない。とてもじれったいことがある。中村さんは恐れがなく、もう何でも、良いことも嫌なことも言って、言いづらいことも。意見を戦わせることができる関係が私にとってはすごくありがたいです。
Q. 良い作品を作るためには時には喧嘩も必要なのではないかと思います。
細居美恵子. そう、その通りです。
中村亮介. 美術監督の金子さんという方とは、細居さんよりもっと長い関係がある。実は3年前に亡くなったんですけれども、でも年齢が僕の父と同じぐらいの方でそうすると、喧嘩にはならないですよね。金子さんの方が遥かに僕よりも多くの経験があって、僕が上手くできていない部分も含めて事前に汲み取ってくれて、僕のことを支えてくれるというか。でも細居さんの場合は年齢も近いので、どちらが上とかどちらが下ということもなく意見のぶつかり合いをして、作品をより良くしていくという。
「出崎監督ほど素敵な大人に会ったことがない」
Q. シンプルな質問になりますが、絵はいつ頃から描き始めましたか?
細居美恵子. もう私は本当に物心ついたときからという感じですね。漫画があったので、それを見て真似をして、もうほとんど紙と鉛筆でずっと描いてたような。そうですね、3歳とか4歳とかから描いてたんじゃないですかね。
中村亮介. 僕は働くようになってからです。子供の頃はあんまりアニメーションを見ていなかった。アニメーションの仕事をしてみようと思ったのは大学の時に児童文学のサークルに所属していて、そこの友人達がアニメーションをすごく好きだったことの影響で。なのでアニメーションを生涯の仕事にしていく自信があってこの業界に来たわけでは全くなくて、ちょっと二、三年覗いてみようというぐらいのニュアンスだったんで、その間に自分に向いてるのはライターなのか、全然違う仕事なのか、を見つけていこうと思っていたら、アニメーションの演出という仕事が面白くて、ずっとやることになりました。仕事を始めた時から描いてたんで、最初誰よりも絵が下手くそでした。
Q. 今はどうですか。
細居美恵子. いやなんていうのかな、いわゆるその技術の人間の骨格だとか、立体だとかそういうことではなく、伝わる絵を描けるんですね。そういう点では、とても上手いですし、全然私も及ばないところもある絵をお描きになると思います。
Q. 中村さんのご家族は厳しかったのではないでしょうか。アニメをあまり見ずに来てアニメ業界に入ったので…
中村亮介. そうですそうです。
Q. 東大をご卒業されてますよね。
中村亮介. (笑)よくご存知で。
Q. 東大卒のアニメ業界の方というと…
中村亮介. 僕の知る限りでは高畑勲さんだけかなと思いますけれども。
Q. そうですね。ご家族はお怒りにはなりませんでしたか?業界に入った時に。
中村亮介. 今は大丈夫です(笑)。父親もFMラジオのディレクターだったので、他の仕事をしているよりは理解があったと思います。
Q. そうですね。ショービジネスですね。
中村亮介. はい、そういう意味では一緒です。
Q. 細居さんは美術大学を卒業したそうです。どうしてアニメの業界に入られたのですか?
細居美恵子. お恥ずかしい話なんですけれども、手塚治虫の漫画が好きでですね。デザインの勉強していたんで、「就職はどうしようかな」と思って、手塚プロダクションから募集が来てたんですよ。アニメが好きなんですけれども、アニメの技術は全然なくて、そのときに手塚プロダクションから募集してたのを見て、手塚プロダクションは手塚治虫の会社だというので応募したんですよ(笑)。作画に応募して実技は当然全く駄目なわけです。で、面接があったんですね。そのときに「手塚治虫が好きだ」ということを話して、美術大に来てた方もずっと笑ってるような所で「ああこれ落ちたかな」と思ったんですけど、なぜか受かりまして(笑)。
Q. 後ほどまた手塚プロのお話をしましょう。専門学校に行ったアニメーターは皆あまり専門学校が役に立たないと言います。でも大学は違うのではないでしょうか。美術大学は役に立ちますか?
細居美恵子. 役に立ったかどうかでいうと、全く違う(笑い)。私が始めて今までの経験の実感ですけれども、実践で学ぶのが一番学ぶことは多いような気はしますね。私はそうだったわけです。手塚プロダクションの先輩たちに教えていただいたんですけれども、先輩たちには大変なご迷惑をおかけしましたがそれで良かったなと思います(笑)。
Q. 手塚プロには出崎監督もいらっしゃいましたね。どんな人でしたか?
細居美恵子. あのですね、出崎監督は、どちらかというとお仕事でというよりも、遊んでくれていたって感じでした(笑)。今でも出崎監督ほど素敵な大人に会ったことがないと思えるぐらい。何でしょうね、大人げなくもあるんですが、とても大人な部分もあり。年齢の差も、私の父親と同じ年だったんですけれども、全くそういう差も感じさせず。当然私がお会いしたときから大監督だったんですけど、そういった肩肘張った感じも全くなく、とても自然な感じで。だからそういう壁も感じないで、もう友達のようにお付き合いさせていただいてましたね。
中村亮介.羨ましい!
Q. 何か面白い思い出はありますか?
細居美恵子. 本当にいろいろ。
『白鯨伝説』という作品がありまして、最初手塚プロダクションじゃないところで作っていたんですが、スケジュールが遅れ過ぎて途中でストップしちゃったんですよ。それを手塚プロが引き継いで、作ることになったんですね。出崎監督としてはそこには並々ならぬ思いがあったらしくてですね。普段絵コンテは全話数描かれるというお仕事をされていたんですが、その絵コンテの作業はご自宅でやられていました。それが出崎監督スタイルだった。だけど、そのときだけは手塚プロダクションに席を置いて、そこで絵コンテを描かれてたんですね。いつもいらっしゃるのが終電間際、もうほぼ深夜ですね。まずいらっしゃってから「飯を食いに行くぞ」と、若手を何人かを呼んで、その後はカラオケに行くんです。それでもう深夜三時とか四時とかぐらいまでいて、帰れないんですよ。で、朝から出崎監督が仕事を始めて、私達はその会社に仮眠室っていうのがあった。そこでちょっと寝て、仕事をすると。
Q. 出崎監督はカラオケが上手でしたか?
細居美恵子. 監督は上手いね。そういう遊びに関しては、非常に上手い方でした。音楽とかも好きでした。そういったものだから、『ルパン』の音楽をやられてる方、大野雄二さんは出崎監督ともとても懇意で、新宿の小さいライブハウスに誘ってくれるんです。
Q. 出崎監督はどんな曲を歌ってましたか。
細居美恵子.『酒と泪と男と女』などです。
中村亮介. 演歌ですか。
細居美恵子. あれは何だったかな。
Q. ブルーズかな?
細居美恵子. よく知ってますね!そこはとても出崎監督らしいんですが、何か人生の重みを感じるようなそういうような歌をよく。
Q. やっぱり『あしたのジョー』っぽい。
細居美恵子. あのね、ご本人『あしたのジョー』の歌も歌われてました。とても好きだったみたいで。(笑)
Q. 瀬谷新二さんのことも教えてくださいませんか?
細居美恵子. 本当に直に教えていただいて、もう非常にご迷惑をおかけした方なんですけれど。いろいろと厳しいところもある方で、瀬谷さんが「作業中席はあんまり立ってはいかん」と。自分が身をもって教えるんだということを体現された方だったんですね。
それをどういう風に体現するかというと、すごい太い鎖が、机の端にあるんですよ(笑)。それをぐるっと回して自らを席に縛りつけて、作業されてるというような厳しいところ。ただ、お話するとそういうような方ではないんですが、つまり怒鳴ったりとか、そんなことはないんですけども、ただ、教えていただく言葉の端々に厳しさを感じるところがある(笑)。でもそういう中で私は出崎監督とカラオケ行ったりするのは、あまりそこに関して直接何か言われたことはないですけどね。
「大事じゃない仕事を探すのが難しい」
Q. 中村さんは東大を卒業して、脚本家や演出家としてのキャリアを始めましたが、原画まで行っちゃったんですね。それは珍しいことではないですか?
中村亮介. 原画といっても、最後のクリーンアップはアニメーターだけの技術なんで、僕にはできないです。レイアウトとラフ原という動きのラフを描くところは人手不足の時にやったりしました。
Q. 中村さんは監督も演出も原画マンも脚本家も、全部に手をかけられていますね。アニメ業界の中で、一番大変な仕事は何だと思いますか?
中村亮介. すごく難しい問題ですね。どの仕事にも大変さはあるんだけれども、ここは監督と言っておきます。それはなぜかというと、やっぱりプレッシャーがかかるっていうのがまず一点と、二つ目はその仕事を理解する人が自分の仕事のスタッフの中にいないんですよ。監督が1人しかいないから。「監督よくやってるな」と思っていても、誰も言わない。日本人ってあまりそういうこと言わないので、口に出さないです。監督の耳に入ってくるのは監督への文句ばっかりになりがちなんです。なんで精神的に追い詰められたりすることがあるんで、「君、孤独じゃないから」って言う人が必要かなって思います。
Q. アニメ業界の一番面白い仕事はなんでしょうか?
中村亮介. どこにも面白さはありますけど、それは演出と言っておきます。演出が一番面白い仕事だと思います。
Q. では、一番大事な仕事は?
中村亮介. 大事な仕事はね、さすがに選べないですね。むしろ大事じゃない仕事を探すのが難しい。予算が多いわけじゃないから必要なことだけを切り詰めてやってるようなところがあるので、正直作品の中でどこかが大きくへこんだら、もう他が全部影響を受けちゃうので。
細居美恵子. 作品にとってということで考えるならば、やっぱりシナリオじゃないですか。
中村亮介. 作品にとってか…シナリオが良くないとその後の人たちがみんな「これつまらないな」と思いながら仕事していかなきゃいけなくて辛いので、シナリオが良いことっていうのはスタッフみんなのモチベーションを高くするためにすごく大事なことかなとは思います。
Q. ありがとうございます。では、『ねらわれた学園』についてお聞きしたいと思います。ユニークな作品ですね。特に色彩設計も撮影もユニークなので、その辺りの説明をしてくださいませんか?
中村亮介. そのシナリオにちょっと問題があったね。シナリオライターの方が途中でギブアップになってしまって、企画をこのまま継続するのかどうかという相談になったんですね。僕が引き継いで書くならこの企画は続くという話になってて、僕が引き継いで書いたんですけれども、当時の僕では力不足でシナリオを十分に面白くすることができなかった、というのは後悔として残っているんですが。でも作画だったり、撮影だったり、美術だったり、いろいろなことで、自分が前からやりたいと思ってたことを初めて試してみる作品にはなったんですね。そういう意味では野心的でチャレンジングな作品だったと思います。
サーキットとかで車を速く走らせるために、マネジメントをきちんとしながら壁にぶつからないようにしていくことがスマートなやり方だと思いますけど、『ねらわれた学園』はあんまりそういうスマートなやり方じゃなくて、もうアクセルを踏みっぱなしでぶつかりながら作っていくような若々しさですね。
僕は若い頃から自分の仕事って若々しさよりはむしろ年齢に見合わない老練さみたいなのを評価されてたので、その『ねらわれた学園』のような仕事の仕方を一度してみたいという思いがありまして。それがあの作品自体がテーマにしてる青春感とかとうまくリンクしたらいいなという風に思って作った作品です。
Q. とても短い製作期間で制作されたようには見えませんね。予算はどのくらいだったのでしょうか?
中村亮介. 予算もね、言っていいのかわからないんですけど、予算は普通の劇場よりかなり少なかったです。
Q. レンズフレア等のエフェクトが多くてとても素晴らしかったです。
中村亮介. そうですね。ああいう撮影が他のアニメでも増えましたけど、当時、確か新海さんは既にいましたけど、新海さんが商業的に仕事をする前の時代で、普段の商業アニメにはあんまりなかったんで、ああいうことをやってみたくて。
それも作品のモチーフにも合ってる。日本人にとって青春を描くのはやっぱりすごく重要なモチーフで、それを自分なりに描く時にレンズフレアとかも使います。
Q. アニメにおけるフレアというと、金田伊功さんのエフェクトもありますね。
中村亮介. 金田さんのエフェクトはデザイン的だと思います。そのエフェクトというよりは僕はそのレンズが自然に生み出す効果とかそういうのにすごくこだわりがあります。
Q. この映画にはいつもどこかが動いてて、とても素晴らしいんですけど、それは難しかったのではないでしょうか?
細居美恵子. 簡単じゃないそれは。でも作画のスタッフが本当に非常に素晴らしいスタッフでした。
作監とかもそうできるような非常に技術の高い人たちが集まって皆原画を描いてくれたので、絵を揃える点では自分が作業をいっぱいしましたけど、幸せな現場でした。
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