DEATH NOTE』、『学園黙示録 HIGH SCHOOL OF THE DEAD』、『進撃の巨人』シーズン1~3などの大人気作品の監督荒木哲郎は、アニメ業界の大事な人物である。最近はまた、MVの『COLORs』や『SPY×FAMILY』、『僕の心のヤバイやつ』などのオープニングでファンの注目を集めている。

荒木氏の作品の特徴は、劇的な作風と講談的な物語である。その上、荒木氏は明らかに自分の「色」を持って、撮影へのこだわりで有名です。荒木氏は、映画的な撮影や3DCGなど、今やアニメの定番となった数々の手法の先駆者でもあります。今回のインタビューでは、荒木氏の制作の手法や作品について詳しく伺いました。

聞き手: ワツキ・マテオ

協力: セラキ・ディミトリ

日本語編集: ジョバール・アントワーヌ、ワツキ・マテオ

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「光と影が巧みに調和することで美しさが引き立ちます」

Q: 荒木さんは最近、オープニングやMVに関する仕事によく携わっているようですね。それはなぜでしょうか。

荒木哲郎 : 現在の監督の仕事は準備段階で、作画の現場にまだ入ってないんですよ。ただ、その準備中である一方で、少しでも現場の感覚を保ちたいという気持ちから、尺が短めなミュージックビデオやオープニングの仕事に取り組んでいるんです。今後もいくつか、ショート作品をお見せできると思います。

Q: 楽しみにしてます。荒木さんの作品は、撮影が非常に力強い印象を受けますね。撮影の際に一番重視されることは何でしょうか。

荒木哲郎 : やはり、光と影に非常に意識を傾けていますね。光と影が巧みに調和することで美しさが引き立ちます。光が存在感を放つために、影を上手に配置することが重要であって、画面内で影を美しく調整することに注力していすね。

Q: レンズフレアもよくつかっていますね。

荒木哲郎 : そうですね。好きです。自身の世代では、岩井俊二監督(注1)が非常に多くの人々に影響を与えていますね。10代後半から20代前半の時期にハマり、岩井俊二さんみたいな美しい映像を作りたいと願いました。岩井さんははすごく光を使うのがうまい人です。そして女性を美しく撮るのも上手ですよ。それで、僕らの世代の映像作家たちは彼の手法に憧れて、自らもそれを目指す傾向があります。他の同世代の制作者の作品を見ると、「あなたもそうなんだね」としょっちゅう思ってます。

Q: 荒木さんはマッドハウス出身だから、出崎監督(注2)の影響だったかもしれないと思ったんですが。(笑)

荒木哲郎 : そうかもしれない。出崎さんの光の入射や海をキラキラさせる表現は、非常に美しいものだったので、その影響を感じることは自然ですね。やっぱりしびれましたよね。好きです。それはそれとして、あまり言及されませんが、世代的には岩井俊二監督にも強い影響を受けていすね。

Q:では、『ねらわれた学園』(注3)も同じでしょうか。レンズフレアもいっぱいあるので、、、

荒木哲郎 : 中村くん(注4)が岩井俊二監督の影響を受けているかは確認したことはありませんが、むしろ、彼が自身の仲間内で最初にその手法を試みたのは事実です。特に『MONSTER』の中村くんの演出回は素晴らしくて、その中で彼が取り入れた光の効果が特に印象的でした。当時、自分はまだそれほどうまくなくて、中村くんがどのように光の効果を活かしているのかを知りたくて、彼の作品のカットを見て指示やレイアウトの設計を確認したり、打ち合わせに紛れ込んでどんな指示をしているかを確認したりしました。そういうことで、中村くんをフォローしていると言えます。

Q: ちょうどマッドハウス時代のときの話を聞きたいと思っていました。

荒木哲郎 : 詳しいですね!そんなに詳しい海外の方は珍しいですよね。(笑)

Q: いえ、いえ、ちょっとだけ調べましたので。(笑) 荒木さんは、元々大学で文学を勉強しましたと思いますが、どのような流れでアニメの方になりましたか。

荒木哲郎 : 高校卒業してすぐにアニメに行こうとすると、親がやっぱり心配しました。どの国でもそういうのがあると思うんですけど、大学には行くことにしました。だから大学に行ってる頃にはもう映像業界に行くことはほとんど決めてたんです。アニメにするか、実写にするか、もしくは漫画にするか演劇にするか、この中のどれかなっていうのを大学の間に考えてました。どれもやってみたんですよ。

演劇もやったし、漫画を出版社に出してみたりっていうのもやりましたけど、8ミリビデオを使って撮った実写映像の作品が一番友達に受けたんですよね。自分でも「映像に向いてるのかもな」って思ったんです。他のものは全然駄目だったんですよ。役者をやってもあいつより全然下手だし、漫画を描いても何か上手くいかず、だけどその映像は結構自分でも手ごたえがあったし、みんなにも受けました。だから映像界に行こう、となって、後は実写かアニメかなんですけど、自分のタイミングで言うと、『新世紀エヴァンゲリオン』がめちゃめちゃ流行しましたね。やっぱり例外にもれず、自分も『エヴァンゲリオン』めちゃめちゃハマったんで、「もうアニメかな」で、アニメ界に入りましたね。

Q: で、どうしてマッドハウスに入りましたか。なぜガイナックスやサンライズではないのか。

荒木哲郎 : サンライズに入りたかったんですが、最初に電話したときにはすでに受付が終わっていたんですよね。専門学校に行こうか迷っていたから就職活動を始めるのが遅れて、1月や2月になってから探し始めた時に、当時TVでやっていた「MASTERキートン」のアニメを見て、それが素晴らしかったのでここに行きたいなと思って電話しました。電話した時には即座に面接に来てと言われて、そのタイミングで入れる場所があったので、そこに入社することになりましたね。

Q: そうですか。さっき8ミリビデオ作品のことを話しましたが、そのビデオはまだありますか。

荒木哲郎 : ビデオテープはどこかにある。当時そのマッドハウスの社長の丸山さん(注5)とかに見せはしましたよ。そんなに褒められなかったですけど。

Q: ああ、ポートフォリオとしてですか。

荒木哲郎 : そうですね。自分の描いたスケッチブックや映像を出してもあまり褒められなかったけれど、車の免許があるかどうか聞かれて、免許があると伝えたら「明日から来てくれ」と言われました。その時は、映像の作りよりも運転手が欲しかったんです。まあ、これもよくあることです。

「見たことない画面を作りたいなと思ってるのはみんなそうですよね」

Q: 絵に関して、荒木さんは腕前が高いようで、自分の監督作品にも原画とかを描くことありますね。それはなぜでしょうか。

荒木哲郎 : 演出の仕事をしていると、アニメーションの制作において、自ら絵を描く必要が時々にあります。アニメーターさんの上がりがイメージと違ったときに、頼れる人がいなければ、演出家としては自ら手を動かすしかなくて、その結果、徐々に描くスキルが向上していくことがあります。ただし、その経験があるからといって、勿論業界のトップクラスのアニメーターほど優れているわけではありません。一般のアニメーターと同じ程度の技術を身につけることができるという程度です。いや、自分は綺麗な線を引く技能がないから、一般のアニメーター以下ですね。まあ「ラフ原画」を描くくらいです。

また、自身が監督である場合、最終回などで監督の仕事がほとんどなくなって、他のスタッフが最後の局面に集中している中で、何かしらの手伝いが必要な場合、原画などを描くことがあります。

Q: それを言うと、自分の演出チェックは厳しいと思いますか?

荒木哲郎 : そんなでもないはずです。この業界には本当に駄目出しが激しい人、もしくは何にも人のものを全然使わない人、全部自分で描いちゃう人とか、そういう人がすごいたくさんいます。だから、そういう人たちと比べると、俺は人に描いてもらったものを全然使う方だなと思ってますね。俺の認識ではそんな感じです。

Q: 撮影の話に戻ると、山田和弘さんと一緒によく働いているようです。山田さんの撮影の何が魅力とか、特別な技とかありますか。

荒木哲郎 : 確かに、同世代ということもあって、美意識が似通っていて、山田和弘さんは共感しやすいです。例えば、『スワロウテイル』の中でアゲハが着替える逆光のシーンのニュアンスを指定したらすぐに理解して完璧に再現してくれました。水面にビルのネオンが反射して、雨が降って、ネオンが揺れる光景なども、ただ言葉で伝えただけで、山田さんはすぐに理解してくれて、美しい画面に仕上げてくれました。彼と働くことは、そういった美的感覚の共有によって非常に楽しいものですね。

Q: 山田さん以外は撮影ではスタジオマッドボックスと一緒によく働いてるが、それはマッドハウスの関係のおかげですか。

荒木哲郎 : 流れは『SPY×FAMILY』ですね。『SPY×FAMILY』の本編の撮影監督をマッドボックスの伏原あかねさんが務めていて、そのままOPもお願いしました。その撮影処理が非常に素晴らしかったですね。彼女の手腕によって、画面が華やかで彩り豊かになって、特に光の使い方が素晴らしかったです。

以前の作品である『進撃の巨人』では、ハードで重たい画作りを目指していました、『SPY×FAMILY』や最近のミュージックビデオ『Colors』など、よりフワッとしたカラフル雰囲気を求めるていて、伏原さんの撮影処理は理想的でした

Q: 確かに『進撃の巨人』と比べて荒木さんの最近の作品は色が全然変わりました。

荒木哲郎 : 少し重厚でないアプローチも試してみたいと考えています。もうちょっと先にやるやつはそれ両方を合流させるつもりでいますけど、今ちょっと青春方向のやつを多めに手がけて、そっちのスキルを高めたいです。今はそっちを多めにやってますけど、どうせすぐまた、戦ったり人が死んだりするやつやります。

Q: 昔から荒木さんは3DCGをよく使っているんですが、それはどうしてですか。ある監督とか作品の影響ですか。それとも新しい技術を試したかったんですか。

荒木哲郎 : 何らか見たことない画面を作りたいなと思ってるのはみんなそうですよね。そのときに新しいツールとして3DCGが出てきたんで、これをどう使うのが一番エキサイティングなのだろうか。そういうふうに思ってるときに、『進撃の巨人』で立体機動の動きの背景を3DCGで動かして、その上にキャラクターを乗っけて動かすというのを長い尺でやるっていうやり方がフィットしましたね。その技法がすごくフィットする作品がたまたま来たんですよね。だからそこは何か運が良かったという感じです。

で、CGを使うことによって、もう一段今までやってきた映像が先に1本先に進めるならば試してみたいって思ってますね。今やってる仕事でも、ちょっとこれにCG使ってみて、何かそういうのを試すのが楽しいですよね。

Q:『進撃の巨人』はアクションシーンの3DCGの使い方がすごく有力だったと思います。今は、その使い方はスタンダードになったようです。荒木さんは、次の発展は何になるとお思いますか。

荒木哲郎 : 手で描くアニメの代わりと考えると、あんまりうまくいかないと思います。つまり、手描きと似たことをやろうとすると、かえって不満に感じちゃうと思うんですよね。3DCGでないとやれないの方を考えないとあんまりメリットないような気がします。でもね、この点に関しては俺も全く探ってますね。答えはないです。

でも自分も一体何ができるかを確認中なんですよね。本当に作り方が全然違ったりもして、やってみないとわかんないからとりあえず試してるみたいな、そんな感じです。

Q: 監督の立場からすると、絵コンテはまだ手描きですね。組み立てがある点で同じでしょうか?

荒木哲郎 : 絵コンテを作るときに3Dのソフトも使ってます。例えば『バブル』という作品では、街をパルクールして進んでいく場面において、絵コンテを描く段階で3Dモデルがないと、どれくらいの高さのビルをジャンプするかなどが描きづらかったです。そのため、町の3Dモデルを先に制作してもらって、それを基に3Dソフトで動かしながら絵コンテを描き進めるという手法を取っています。このようなプロセスにおいて、3DCGは非常に役立つツールであって、絵コンテの制作において大きな助けとなっていすね。だから前だったら頭で考えて描くしかなかったところを、実際モデルを組んで、カメラをぐるぐる動かして「これいいなとか」何か試しにこっから撮ってみたら「かっこいい」とか、そういうのをやりながら作れるようになったんで、そこはやっぱ大きい恩恵ですよね。

Q: Vコンテも使いますか。

荒木哲郎 :非常に重要視しています。やはり、我々の業界では新海誠さんの影響が大きくて、彼の作品において使われている『ストーリーボードプロ』というソフトが、絵コンテ制作用のソフトとして2017年くらいから業界でも一般的になりました。自分は劇場版の『甲鉄城のカバネリ 海門決戦』からこのソフトを使い始めましたね。非常に優れたソフトで、あらゆる面で優れていると言えるでしょう。まさに決定版と呼ぶにふさわしいツールです。そのソフトで描き出すVコンテをスタッフ間で共有して、意見交換をするのも非常に重要です。

「『COLORs』は、米山舞さんと一緒に何か作品を制作するために、荒木が発案した企画」

Q: MVの『Colors』は、荒木さんは神谷雄貴さん(注6)と一緒に演出やってましたね。

荒木哲郎 : おお、神谷雄貴さんをご存知ってすごいですね。最近は『水星の魔女』『呪術廻戦』のOPとかが目立ってますからね。本当、すごい才能の方です。

Q: どの流れで2人で演出をやりましたか。

荒木哲郎 : 神谷雄貴さんに自分は数年前から注目していたんですよ。最初はWITスタジオとやった『マジックザギャザリング』というカードゲームのPVです。それをWITスタジオで作って、神谷さん監督をやりました。その映像が非常に素晴らしかったので、神谷雄貴さんの才能に感嘆したんですね。また、自分は音楽の実写のミュージックビデオも好んで見ており、特に乃木坂46の面白いミュージックビデオに魅了されたことがあります。そのビデオを見て、「これは誰が制作したのだろう」と思って調べた結果、同じく神谷雄貴さんが手がけていたという発見がありましたね。つまり、神谷雄貴さんはアニメと実写の両方に関わっていて、その多才さに興味を抱いていたんですね。

以前から「一緒に何かやりたい」とお話させてもらっていた中で、『Colors』の制作が決まって、絵コンテを半分づつで制作して自分と神谷さんの2人で共同で仕上げるという形でその作品が生まれたんですね。神谷さんが提示してくれたアイデアや手法が新鮮で、それが刺激的だったから、結構年下の人なんですけどいろいろ学べましたね。しかし何より、米山舞さんと一緒に仕事をできたのが『COLORs』の一番のトピックでした。何せ『COLORs』は、米山舞さん(注7)と一緒に何か作品を制作するために、荒木が発案した企画なので。

Q: そのMVは東宝のミュージックビデオシリーズの一部なんですが、オファーはどこから来ましたか。

荒木哲郎 : あれは最初WITスタジオに来たんです。そして、WITの中でこれをやるの誰がいいだろうっていうときに、『バブル』と『SPY×FAMILY』が終わったぐらいで、自分にはいいタイミングだったんでしょうね。あと自分が今後一緒にやりたい人たちと仕事を試す場にしたかったんですよ。だから今までやったことない人たちとやってみました。あの美術、撮影。作画全部今までの人たちじゃない人で1回試してみるっていうのをやりたかったですね。そのためのテストもあってみたいな感じでした。

Q:『SPY×FAMILY』は荒木さんがOPを担当されましたが、EDは知り合いの平尾隆之さん(注8)ですね。それは荒木さんの招待のおかげですか。

荒木哲郎 : いや、本当ね、プロデューサーの山中くんがオープニングを自分、エンディングを平尾くんっていうのを最初から企んだんです。自分と平尾くんは長くマッドハウスの制作進行とか、そういうところから一緒に同期でお互いの仕事を手伝い合っています。仲良しだったんです。そのことは山中くんが知ってますから、その2人セットでオープニングエンディングっていうのが、彼が企んだことなんですよね。そんなの初めてだったんで、同じ作品で、そうやって並び立って、仕事するというのは意外にあんまりなくて、だから自分たちにとってもいい記念になって楽しかったです。

Q: 平尾さんと言えば、『ゴッドイーター』の制作は大変だったらしいですが、その直後は『進撃の巨人』と『カバネリ』の演出になりました。荒木さんは平尾さんにとってどんな経験だったと思いますか。

荒木哲郎 :平尾くんがufotableを離れて、次に監督として活動する場所を探していた時、一時的に僕の仕事を手伝ってもらって、『カバネリ』や『進撃の巨人シーズン2・3』を手がけていた時期がありました。その間、平尾くんは新しい拠点や新しいプロジェクトの開発を模索していて、その結果、スタジオCLAPに落ち着いたようです。スタジオCLAPの設立者である松尾亮一郎くんも、自分や平尾くんのマッドハウス時代の同期です。そして、松尾くんのスタジオCLAPができた時に、平尾くんはそこに落ち着くことを決めて、その後『ポンポさん』を制作することになったんですね。

Q: 『ポンポさん』にもレンズフレアがよく出てきますね。

荒木哲郎 : そうですね。そこはもうお互い好きですね。でも、平尾くんは俺とか中村くんみたいにわかりやすく派手に、あの照明効果を使うのは、そんなに好まない方ですね。彼は今 敏監督の教えを受けました。今さんはあんまり撮影処理が派手に入るのを好まない方でした。撮影処理が本当はすごく入ってるんだけど、まるで何も入ってないみたいな画面を作る方です。その方が品がいいという話もわかります。

「激しい情念がほとばしるような作品が、基本的に好きなんです」

Q: 影響と教えの話をすれば、荒木さんは富野監督(注9)の大ファンだそうです。富野監督の演出の魅力は何だと思いますか。

荒木哲郎 : 演出もそうですけど、作るストーリーとかエモーショナルなところですね。なんか、もう本当馬鹿みたいな言い方ですけど、人が死んで「うおおおお」みたいな感じですよ。(笑) そういうのが好きだったんで、例えば『イデオン』とか。その凶暴な頃の富野さんのギラつきが自分はやっぱり忘れられないんです。『Gのレコンギスタ』に参加させてもらったのも、やはり今でも現役で最前線で仕事をされているのが嬉しかったし、あとやっぱり富野監督の作品がテレビシリーズで動くっていうならぜひにって言って自分が押しかけていってやらせてもらいましたね。あれは嬉しかったですね。楽しかったです。

Q: 富野監督から何を学んだのでしょうか?

荒木哲郎 : やっぱりやってみると、本当にすごいなと思いました。つまり、戦艦がいてロボットがいて、戦って、それをやりながらストーリーを語るっていうのはやってみたらめちゃめちゃ難しかったですね。こんなのを毎週1話、そして何年間も作り続けたというのは、本当に人間技じゃないですよ。こんなに難しいことをあんなにずっと毎週毎週やってたんだっていうふうに思って、びっくりしますよね。かなわないなと思いました。本当にすごいです。

Q: 荒木さんの絵コンテに富野さんがいっぱいのメモをつけたそうです。特に印象に残ったメモはありますか?

荒木哲郎 : そうですね。例えば、難しい会話をしている2人がいて、その2人の様子を俯瞰でゆっくりとパンしながら捉えます。そして、この場面を17秒のカットに仕上げたところ、絵には「17秒は図々しい」というメモが書かれていました。これにはとても笑いました。「そうか、俺は図々しかったのか」といった感じです。

この演出自体は、現場でよくあることで、つまり皆が会話内容を理解するのに頭がいっぱいで、そちらに集中しているので、絵に余分な情報を入れると話が頭に入りにくくなるという考えから、わざとシンプルな絵して、このカットでは話を聞くことに集中してもらったつもりでした。しかし、逆にそれが図々しいと評され、演出家としての自らの図々しさが面白かったですね。

また、女性の描写に関しては、注意深く取り組んでいたつもりでしたが、ステレオタイプな描写には富野さんのチェックが入りました。女性に関するリアリティは独自のものがあって、アニメっぽく可愛いという表現は許されないと感じました。口の開きが小さいから、大きく口を開けろといった指摘もあって、独自のスタイルがありますね。

Q: 荒木さんの富野作品の一番気に入ってる女性キャラクターは誰でしょうか。

荒木哲郎 : そういった観点では、女性キャラクターの好みには独特のものがありますね。富野さんの作品に登場する女性キャラクターは、なんだか狂っているか激しいか、あるいは付き合いたくないといった印象を受けます。『めぞん一刻』の響子さんのようなキャラクターは僕は好きだという一方で、そのようなタイプは富野さんの世界には存在しないと感じていたんですね。

Q: さっき『イデオン』について話をしましたが、『イデオン』は『進撃の巨人』みたいな激しい感じですね。

荒木哲郎 : そうですね。やはり、激しい情念がほとばしるような作品が、基本的に好きなんです。『進撃の巨人』を制作する中で気づいたことがあります。ドラマの温度が高まるためには、大きな戦争状況や巨大な存在が荒れ狂うような異常な状況が必要であって、日常的な状況だけではドラマの温度がそこまで上がらないということです。出来事のサイズが小さいと、人が叫ぶような異常な状況にまで温度が高まることはないんです。要するに、富野さんが求めるような温度感の強烈なドラマを作るには、宇宙戦争などの大きな状況が必要だということを体感しました。

『進撃の巨人』は、富野さんみたいな温度感に近づいているなと感じました。異常な状況がないと、例えば学校に通う男子女子が親を殺すような話には難しさがあると思います。背景として宇宙戦争ほどの異常な状況がないと、あのような激しいドラマのボルテージがうまく生まれないということがわかりましたね。

Q: でも、富野さんの作品には確かに宇宙戦争の状態なんでが、キャラクターの日常もすごく大事ですよね。二つの描写があります。

荒木哲郎 : そうそう、その通りですね。だから、異常な状況やエクストリームな状況の中で、激しい愛憎が交錯して、それでもその人が生きる日常を繊細に描く。ここにあるこの三角形が、やはり富野さんの魅力の一因だと思います。それは同時に、私が目指すものでもあります。その日常の感覚を繊細に捉えつつ、エクストリームな状況での爆発を描きたいと考えています。だから、どちらもが存在するときに、生きるという感覚が生まれる。

これは、私が好きな北野武監督の映画にも通じるものだと思っていて、エクストリームな状況や殺し合いといったものから、実は些細なおじいちゃんが子供をかわいがる愛情といったものまで、その両極の振り幅が芸術でありエンターテイメントだと感じています。愛と狂気、そこには共通点があり、隣り合わせに存在するということ。この点で、富野さんと北野武監督に対する感情も、その振り幅の大きさが同じだと感じています。

Q: 荒木さんは長い間スタジオWITでよく働いています。その10年の間にWITは変わりましたか。

荒木哲郎 : そうですね。ものすごく大きな会社になったことで、必然的に変わった部分はあると思います。やはり大企業ならではの仕事の取り方や進め方がありますから、その中であっても、特に中心となるスタッフたちの温度感は変わっていないと感じます。ただし、作品数が増えて、みんなが同じ作品に一緒に、とはいかなくなりましたね。

「自分がその漫画なり、面白いなって思ったところを、そこを拡大することが大切だと考えています」

Q: WITでアニメーター塾がありますが、その塾で教えていますか。

荒木哲郎 : いやいや、自分は関わっていないです。WITの社員ではないので、WITの人材育成や後進育成にはほとんど関与していません。外部の演出家として常駐している感じですね。

Q: 荒木さんは大人気漫画から大人気アニメ化を作るところになったのです。アニメ化をやるときに、何か一番重視することは何ですか。

荒木哲郎 : そうですね。自分がその漫画なり、面白いなって思ったところを、そこを拡大することが大切だと考えています。『進撃の巨人』で言ったら怖いとかすごいと同時に、なんか笑っちゃうという感じがしますね。笑いも同時に大切に捉えることが重要だと感じています。自分は『進撃の巨人』を読んだときに、このページ「怖い」と思うのと同時にめちゃめちゃ笑っちゃったよというのまでを上手にフイルムにできたら、いちばん成功と思ってましたね。だから結局読者として自分が受けたインプレッションをいかにしっかりと形にして伝えられるかが重要だと思っていますね。

Q: もう原作は、それぞれ個性的なスタイルがあるんですけど、どうやって自分のクセを守りますか。

荒木哲郎 : 自分のやつを守ることよりも、その企画が成功するためにできる限りの力を注ぐことが重要だと思っています。その中で、自分の引き出しの中でこの辺だったらいけるとか、その都度出しているんですけど、もしくはこの企画に関しては、自分の今までにない引き出しを身につけないと対応できないなと思ったら、頑張って、そのとき勉強するとか。だから、その企画ありきですよね。

原作付きでもそうだし、オリジナルでもそうですけど、この企画の中で自分がやるべきことは何かっていうふうに思って、そこに向けて頑張る。そんな感じですね。それが結果的に自分の個性みたいなものがその中に入ったらいいなぐらいのもので、個性を先に考えるわけじゃないですかね。

Q: 現在は日本にも海外にも、アニメの映像が漫画同じなってないとファンがよくSNSで文句を言いますね。そのことについてどう思いますか。

荒木哲郎 : 無理もないとは思います。先ほど話したように、漫画や原作を読んだときに感じたことがアニメでも同じように感じたいと期待しているファンも多いでしょう。自分も同じような気持ちがあるし、そうでないと怒ることも理解しています。なので、少なくとも映像側の制作者は、その原作が好きでないと、それを手がけては駄目と思います。基本的に、その人ががその作品のファンでない限り、成功しないだろうと思っています。自分も過去の仕事で原作に対して否定的な気持ちで取り組んだ仕事は、結局上手くいかなかった経験もあります。そういうものだったらやらない方がいいなと考えています。ただ、例えば最近だと『チェンソーマン』のアニメについて、マンガとは少し異なる印象を感じたけれども、アニメ自体は素晴らしいと思っていました。

Q: 原作付きの作品をやったんですが、オリジナルもやってたので、やり方は同じでしょうか?

荒木哲郎 : いや、全然違いますね。原作ものは一度世に試されているぶん、成功する道がある程度見えやすいですが、オリジナルは一体何をすれば喜んでもらえるかの正解は、出してみる瞬間まで全然わからないです。みんないろいろと賢い人が、経験やリサーチをもとに決めていますが、どんなにヒットメーカーが考えたことでも、成功率というのは100パーセントじゃないです。もっと言えばどんなに天才でも50パーセントとかそんな感じの印象ですね。だから博打、賭けの度合いが高いです。でもだからこそ、その成功率が低いからこそ、一度でいいからそっちで成功したいって俺は思ってますよね。

そらく難易度が高いし、かつやることの作業量も多いです。だからオリジナルのほうが険しいです。でもだからこそ、そっちをやりたいですね。

Q: これからもオリジナルがやりたいんですか。

荒木哲郎 : そうですね。やっぱり自分が中高生の頃に衝撃を受けたものを、自分の手でも作り出したいということに変わりはないんですよね。それこそ、富野さんが手がけたようなということなんですけど。今までに何回か手が届いてます。シリーズのある話数とかだったら、ある瞬間に「あ、俺目指したフィルムに手が届いてんじゃん」と思う瞬間が何回かありました。だけど、そのシリーズとか、映画全体としてどうだっていうところまでいけたことはまだあんまりないです。カバネリの『海門決戦』という映画だけは自分が望んだものに総体として手が届いた作品なんですけど。あとはやっぱりシリーズの各話は何回かなんですよね。全部ではない。

だから作品全体の、その売り上げとしても成功をして、自分も満足しているっていうものに届きたいです。あと何回トライできるかわからないけど、まだまだやりたいと思ってますね。

「『バブル』が自分のこれまでの制作の集大成となる作品だと思ったんです」

Q:『バブル』は川村元気プロデューサー(注10)からオファーをもらったそうですね。

荒木哲郎 : WITスタジオが川村さんと何かやろうというときに、自分も呼んでもらえました。そんな感じですね。

Q: そのオファーをもらったとき何を思いましたか。

荒木哲郎 : ぜひやりたいと思いました。この仕事ではよりオープンな観客層が想定されていたので、自分にないものは何なのか、自分じゃない人が望んでいるフィルムというものは一体どういうものなのかについて学びたいと思って、とてもいい勉強になりました。自分の価値観じゃないものをいろいろと見せてもらいました。

Q: もっと具体的に川村さんがどうやって荒木さんとスタッフも今までやってなかったことをさせてくれたのでしょうか?

荒木哲郎 : 例えば、面白かったのは、自分が初期に川村さんとどういう作品を作るかを相談していた期間が半年ぐらいあったのです。その時に最初に自分が提案していたアイデアは、まだそれまでの自分の仕事を引きずっているものでした。モンスターが追いかけて来たり。しかし川村さんは自分のこれまでの雰囲気ではなく、今までの仕事とは全く異なるものを引き出させようとしました。

そのオーダーに対して、『近未来廃墟での人魚姫』という企画を提案して、これが通るまでに半年ぐらいのやり取りがありました。それがようやく通って、その後も自分にない引き出しをいろいろと開けさせてもらって、要するに作り手に無理難題をバンバン出して困らせます。その困らせる中で、作り手が新しい扉を開くのを川村さんが期待するという、そうした手法です。こやはり川村さんはすごい人だと思います。

Q: 川村さんと一緒にもう一回仕事したいと思いますか。

荒木哲郎 : したいですね。ぜひまたやりたいと思います。

Q:『バブル』は荒木さんが小畑先生(注11)以外とは仕事をしたくなかったそうですが。

荒木哲郎 : 小畑先生以外は駄目と言ったかはわからないですが、川村さんに提案して頂いてもともと大好きな絵描きさんですし、文脈的にもとても良いなと感じました。 

つまり、『バブル』が自分のこれまでの制作の集大成となる作品だと思ったんです。もともと『バブル』には、これまで一緒に仕事したアニメーターさんや美術さん、キャストさんに至るまで、これまで築いてきた人脈が集結していました。その時に、キャラクター原案に、自分の最初の監督作品を共にした『デスノート』の小畑健さんは、最もふさわしい感じがしました。

『デスノート』のとき、予算的にもスケジュール的にも、原作のを再現しきれなかった部分も、今の仲間たちとなら何とか出来るのではないか、とも思いました。

Q: 確かに、小畑先生の絵はすごいですけど、ちょっと描きづらいでしょう。

荒木哲郎 : うん、もううますぎるんです。全てのカットをあのクオリティにするなんて無理だと思うぐらい、絵が上手いです。だから『デスノート』も同じで、重要なカットをどうにかしっかりと仕上げるのが精一杯でした。本当はこの絵も、あの絵も、そしてこの絵も、原作のように素晴らしいものにしたいと思っていましたが、そんなのは無理だと思いながら取り組んでいました。

Q: スタッフの話をすれば、杉田柊さんが『バブル』のメインアニメーターになった流れを聞かせてください。

荒木哲郎 : 流れとしては、『カバネリ』の『海門決戦』の時に参加してくれて、本当にたくさん仕事をしてくれて、とても良かったんですよ。その印象が良かったと同時に、プロデューサーの山中くんは『カバネリ』のときからずっと自分の作品をWITスタジオで担当してくれているプロデューサーで、山中くんが杉田さんが気に入って、杉田さんは人間的にも可愛らしい方で、本当にいい人なんですよ。そこで、山中くんが熱心に誘って来てもらいました。杉田さんもまた自分の作品をとても愛してくれているので、お互いに信頼し合っているということですね。

Q: メインアニメーターの話をすれば、その意味を説明させてくださいませんか。

荒木哲郎 :たとえばエンドロールのクレジットで原画の欄がごちゃっとして、誰が本当にこの作品を良くしたのかがわかりづらいことがありますよね。「メインアニメーター」というのは、キャラクターデザインでも作画監督でもないが、しかし重要なクリエイターをオープニングにクレジットで出すことで、もう一段、我々はこの人をとても頼りにしているし、大事にしていますよ、と制作側がアニメーターさんに対して表現するための手段なんです。少なくともWITスタジオではそんな感じですが、これは他のアニメ制作会社でも同様の感じだと思います。

脚注

  1. 岩井俊二 (いわい・しゅんじ、1963年生)。監督、映像作家。90 年代後半の日本の実写映画の主要人物であり、『スワロウテイル』、『リリイ・シュシュのすべて』などで有名。ロトスコープを使った『花とアリス殺人事件』でも、アニメーションに手を掛けた。

  1. 出崎統(でざき・おさむ、1943年–2011年)。 監督。アニメ史上最も重要で影響力のある監督の一人で、独自のスタイルで有名である。マッドハウスの設立メンバーの一人で、1980年に退社したが、1970年代から1980年代にかけては、しばしば東京ムービー新社と仕事をした。

  1. 『ねらわれた学園』。2012年の映画、サンライズ作品、中村亮介監督。高校に侵入した超能力者の物語であるこの映画は、色や照明に対する独特のアプローチと、作画監督の細居美恵子によるエネルギッシュな作画で有名です。

  1. 中村亮介 (なかむら・りょうすけ、1976年生)。監督。2000年代のマッドハウスの若い世代の主要メンバーの1人で、特に『モンスター』の監督助手を務めた。 マッドハウス以外での監督としての作品には、『あいうら』や『灰と幻想のグリムガル』などである。

  1. 丸山正雄 (まるやま・まさお、1941年生)。プロデューサー。スタジオ マッドハウスの創設メンバーの 1 人で、その後社長を務め、スタジオMAPPA と M2の創設者。 1960年代から活躍する丸山は、アニメ史の中で最も重要なプロデューサーの一人である。特に1980年から2000年にかけてマッドハウスの社長を務めた間、りんたろう、川尻善昭、今 敏、湯浅政明といった多様な監督を支援、あるいは発掘した。 

  1. 神谷雄貴 (かみや・ゆうき)。映像作家。『呪術廻戦』第2期などの人気シリーズのオープニングを手掛けたことでアニメファンの間で知られる若手監督。特にオープニングでは色彩設計や撮影など多くの責任を担う。

  1. 米山舞 (よねやま・まい、1988年生)。アニメーター、イラストレーター。もともとスタジオガイナックスやトリガーに所属していた米山は、『キズナイーバー』などのキャラクターデザインと、緻密で巧みなイラストで有名になりました。

  1. 平尾隆之 (ひらお・たかゆき、1979年生)。監督。2000 年代のマッドハウスの若い世代のメンバーであり、フリーランスになる前に Ufotable で数年間働いていました。 現在は、スタジオ CLAP に所属しており、最近では『映画大好きポンポさん』を監督しました。

  1. 富野由悠季(とみの・よしゆき、1941年生)。 監督。 アニメ史上最も重要な監督の一人。 『鉄腕アトム』でキャリアをスタートさせた彼は、『ガンダム』シリーズの生みの親、そして日本を代表するSFクリエイターの一人として最も有名です。 近年は『ガンダム Gのレコンギスタ』で多忙を極めており、その後引退するかもしれないと言われている。

10.川村元気 (かわむら・げんき、1979年生)。プロデューサー。おそらくアニメ業界で最も重要なプロデューサーの一人。特に『バケモノの子』以来細田守監督をサポートし、『君の名は。』、『天気の子』、『すずめの戸締まり』のプロデューサーとして新海誠を世界的な成功に導いた人物である。

  1. 小畑健 (おばた・たけし、1969年生)。漫画家。『ヒカルの碁』や 『DEATH NOTE』の原作者として有名。 絵の細やかさとファッションへのこだわりで知られています。 荒木哲郎『バブル』のキャラクター原案を担当。

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『イデオン』はエゴの死 ー 新潟国際アニメーション映画祭』で富野由悠季のインタビュー

『イデオン』はエゴの死 ー 新潟国際アニメーション映画祭』で富野由悠季のインタビュー

富野由悠季は、疑いなくアニメ史上最も有名で重要な監督の一人。『ガンダム』の生みの親であるだけでなく、ロボットアニメとSF全般に影響を与えた作品を残した、非常に多作なクリエイター。 このような伝説の人物に会う機会があったのは、第2回新潟国際アニメーション映画祭のときだった。富野監督はエネルギッシュで親切で、海外の人と自分の作品や映画への愛について喜んで語った。 聞き手: ジョワイエ・ルド、ワツキ・マテオ 協力: ワツキ・マテオ 編集協力:...

President of anime production company GENCO, Mr. Tarô Maki
映画祭は出会いと発見 -新潟国際アニメーション映画祭ジェネラルプロデューサー真木太郎インタビュー

映画祭は出会いと発見 -新潟国際アニメーション映画祭ジェネラルプロデューサー真木太郎インタビュー

株式会社ジェンコの代表取締役として、真木太郎はアニメ業界大事な人物である。彼のキャリアでは、プロデューサーとして押井守(『機動警察パトレイバー the Movie』)、今敏(『千年女優』)、片渕須直(『この世界の片隅に』)などの日本のアニメを代表する作家を支えた。 2022年から、真木とジェンコは別の方法で日本や世界のアニメーションを応援する。それは新潟国際アニメーション映画祭です。第2回では、そのメインスポンサーとジェネラルプロデューサーの真木太郎と映画祭と日本と海外のビジシネス関係について語る機会ができました。 聞き手:...

Animation Business founder, journalist Tadashi Sudo
「アートからエンタメまで全部取り込むのが新潟です」- 新潟国際アニメーション映画祭プログラムディレクター・数土直志インタビュー

「アートからエンタメまで全部取り込むのが新潟です」- 新潟国際アニメーション映画祭プログラムディレクター・数土直志インタビュー

第2新潟国際アニメーション映画祭は、出会いと再会に溢れた。その中には数土直志さんだ。ビジネスサイトの「アニメーションビジネス」の創設者とライターとして、数土さんは日本のアニメジャーナリズムのキーパーソンである。昨年から、数土義さんは潟国際アニメーション映画祭のプログラムディレクターを努めている。それは、映画祭の方向性や上映されるざまざまの作品を決める役割だ。 数土さんの話を伺ったときは、アニメ業界のこれからとグローバル化を触れて、そして新潟映画祭がこうした発展の中でどのような位置にあるのかについて話し合いました。 聞き手:...